翻訳を翻訳する
河原清志
翻訳とは何か―研究としての翻訳(その3)
 
 「翻訳とは○○である。」というテーゼの探究が本稿のシリーズであるが、世には暇な学問あり。「○○とは翻訳である。」と語る。是如何に。

翻訳とは何か―メタファーとしての翻訳
メタファーとは、「人生とは旅である。」の如く、「類似性に基づく比喩」と定義される(谷口 2003, p. 2)。つかみどころのない多義的・多面的な被説明項を、経験基盤に根ざした具体物によって見立てることで説明をする、というのがメタファーの根本である。 だとするならば、“translation as X”という議論が翻訳をメタファーによって語る言説であるのに対し、「メタファーとしての翻訳」とは “X as translation”という構図であり、「翻訳」という抽象概念によって、さらにそれより抽象的な事象を説明しようという試みであると言える。では、 これらの例を順に見てみよう(以下、特に断りがない場合は翻訳は筆者による)。

(A)“translation as X”
(1) [言語間]翻訳は、ある言語のメッセージを別の言語の個々のコード・ユニットで置き換えるのではなく、メッセージ全体で置き換えることである。
(Jakobson 1959/2000, p. 139、訳はマンデイ2009準拠)
(2) 翻訳は、コミュニケーションを別言語で引き継ぐものではなく、先行するコミュニケーションについての新たなコミュニケーションである。
(Reiß & Vermeer 1984/1991, p. 66、訳は藤濤2007準拠)
(3) 翻訳は、誰が見てもはっきりと分かる書き換え(rewriting)の典型である。
(Lefevere 1992, p. 9、訳はマンデイ2009準拠)
(4) 翻訳とは、単なる忠実な再現行為ではなく、むしろ選択、組み合わせ、構造化、模造という意図的で意識的な行為である。そして時として、改ざん、情報の拒 絶、偽造、暗号の創造ですらある。このように、翻訳者は想像力豊かな作家や政治家と同じように、知を創造し文化を形成するという権力行為に参画している。
(Tymoczko & Gentzler 2002, p. xxi)

(B)“translational act as X”
(5) 字幕翻訳は、
・「視聴覚言語転移」である。(Luyken et al. 1991)
・「斜め翻訳」である。          (Gottlieb 1994)
・「翻訳適合」である。         (Gambier 2004)
・「弱い立場の翻訳」という概念で表現される。
(マンデイ2009, pp. 311-312)
(6) ビデオゲーム翻訳は、視聴覚翻訳とソフトウェア・ローカリゼーションの融合である。
(マンデイ2009, pp. 312-313)
(7) ローカリゼーションとは、ある製品を、それが販売され使用される目標となる場に持ち込み、言語的かつ文化的に適切なものにすること。
(LISAによる定義、訳はマンデイ2009準拠)
(8) [ニュース]翻訳は複雑なプロセスの一つの要素であり、情報がある言語から別の言語に転位され、そして新しいコンテクストの中で編集され、書き換えられ、 形が整えられ、掲載されるが、これは起点と目標という明確な区別が意味を失う程度まで行われる。
(Bielsa & Bassnett 2009, p. 11)

(C)“X as translation”
(9) 文化レベルでの翻訳は、領土レベルでの翻訳に対応する。前者はイングランド文化の受容であり、後者は住民の強制的な退去と移動を意味している。
(Cronin 1996, p. 49、訳はマンデイ2009準拠)
(10) 喩としての翻訳。[...]情報伝達にさいして情報の発信者と受信者が個別に遂行するのは、つねに一種の翻訳行為―自己の「内面」の翻訳、および情報媒体 の翻訳―である以上、いかなる言表、伝達、解釈であれ、それは一種の「翻訳」と解されてきた。  (真島 2005, p. 10, p. 34)
(11) フェミニズム理論家は、原作に対してしばしば派生的であったり劣った存在として捉えられている翻訳の地位と、社会や文学作品において抑圧されることの多い 女性の地位との間に類似性を見出す。            (マンデイ2009, p. 204)
(12) 南北アメリカの言語は翻訳であり、翻訳、対話、越境(言語、文化、国家などの)について疑問を投げかけることは、南北アメリカの基盤や限界を再考するうえ で必要である。
     (Pym 2010, p. 143)

 俯瞰して言うと、(A)は「翻訳」そのものの分析、(B)は「翻訳」とは開かれた概念だとして、拡張された概念である「翻訳的行為」を分析するもの、 (C)は本来翻訳とは異なる社会的事象・現象を「翻訳」というメタファー(真島の言葉を借りると「喩」)として分析するものである。もう少し詳しく見てみ よう。

(A)“translation as X”
 (1) 翻訳≒テクストの置換
  (2) 翻訳≒テクストによるコミュニケーション
  (3) 翻訳≒書き換え
  (4) 翻訳≒意図的・意識的な知の創造・文化形成行為

(1)は翻訳の言語行為性に焦点を当てた理論、(2)は翻訳の社会行為性も加味した理論、(3)(4)は翻訳学が文化的・イデオロギー的転回を経た学説で あると言える。概括して言うと、翻訳の言語行為性に焦点を当てた理論は、翻訳学の言語学的時代と言われるものがそれに相当する。「等価」「翻訳シフト」 「翻訳ストラテジー」「テクスト・タイプ論」などである。これに社会行為性が加味されると、「スコポス理論」「レジスター分析」「システム理論」「規範 論」などが展開され、言語学的時代の次世代の理論となってきた。
(1)に代表される言語学的観点からの翻訳理論に対しては、@妥当な翻訳を行いさえすれば「真の意味」は言語間の境界をこえて透明に伝達されうるという 「概念伝達の透明性」を当然視している点、A翻訳行為をはじめとする人間のあらゆる社会実践に先立ち、単一かつ均質で、たしかな体系性と可算性をそなえた 実体としての言語像ないしは言語共同体があらかじめ前提されている点が批判されている(真島 2005, p. 14)。このことは、社会行為性が加味された諸学説においてもほぼ妥当する批判と言えるだろう(この点、Toury流の「規範」論の前提であるEven- Zoharの多元システム理論も、翻訳による受容言語側の言語の更新性(付随的に起点言語側も)や言語内での多元システムの動態的進化は念頭に置かれてい るが、概念伝達の透明性や言語=言語共同体の一枚岩性、翻訳に伴う表象の歪み・操作性の等閑視への批判的分析は見られない。この点、異論があればご指摘頂 きたい)。
ところが、翻訳学がテクスト分析中心の時代から、「文化的・イデオロギー的転回」を経験することで、「書き換えとしての翻訳」「ジェンダーの翻訳」「ポス トコロニアル翻訳理論」「翻訳の(不)可視性」「翻訳の権力ネットワーク」などに焦点が当てられるようになった。これは翻訳のみならず広く表現行為という 社会実践のもつ社会・文化・歴史的な意義や役割を射程に入れているものである。ここで、他の主張も紹介してみよう(翻訳のメタファーのみならず、翻訳者の メタファーも併せて掲載する)。

(13) 翻訳者は介入的存在である。
(Munday 2007, p. xv)
(14) 翻訳者は社会学的な主体、経済的主体、文化的創造者、そして言語産出者という多岐にわたるものとして見ることができる。
(Mossop 2007, p. 36 in Munday 2007)
(15) 翻訳は我々が望むような形、受け入れ可能な形で介入をしてきてはいない。地球上で持てる者と持たざる者との差が拡大し、固定してしまった帝国支配の秩序に よって、国際関係の民主化への我々の努力が台無しにされてきた。[...]翻訳にはこの(悲しい)状態を引き起こし、維持する重大な役割があることは否定 できない。   (Yameng 2007, pp. 54-55 in Munday 2007)
(16) 翻訳は本質的に暴力的である。外国のテクストを、目標言語内にすでに存在していた価値観、信念、表象に従って必ず再構成をするからである。             (Venuti 1993 in Baker 2010)
(17) 支配的な権力の中枢にとっての翻訳者の問題は、翻訳者は複数の文化の狭間にいるとか複数の文化への忠誠の狭間にいるということではなく、相反する複数のイ デオロギーや変革の綱領、支配的な統治から逃れる転覆の計略にあまりに深く関与しすぎることである。翻訳のイデオロギーは翻訳者の立ち位置の結果であっ て、この立ち位置は狭間のスペースなのではない。
  (Tymoczko 2003 in Baker 2010)
(18) すべての翻訳にはその基底に政治的な側面がある。一回一回の翻訳行為は複数の言語や複数の文化の間に(平等または不平等な)権力関係を築いてしまうからで ある。[...]翻訳はメタ言語的、メタ文化的活動であって、翻訳以外の執筆形態であれば日常生活に埋没し陰を潜めているような複数の言語的な価値や権力 のモデル、言説のモードの間の対照や対立を顕在化させてしまう。               (Jaffe 1999 in Baker 2010)
(19) 特定の文学的な価値観を推進することにより、そして連携を強化することにより、女性は翻訳を、新たな文化的ダイナミクスの創造に参画する強力な道具として 使うことができる。
           (Simon 2002 in Tymoczko & Gentzler 2002)
(20) 翻訳は中国では社会変革を促進するうえで重要な役割を担ってきたし、これからも担うだろう。1970年代後半に中国が諸外国に門戸を開放して以来、中国は 国家の発展および人民の幸福のために有益で役立つものなら何でも導入する方針を決めた。この過程において、翻訳は不可欠なのである。
(Kenan 2002 in Tymoczko & Gentzler 2002)
(21) 翻訳は今日では文化的闘争を映し出した容赦ない活動とは考えられておらず、むしろ、真の違いを前面に出し、そうすることで文化の構築における強力な道具を 提供してくれる活動となると考えられている。翻訳を通して、[...]我々は先行する文化を再び造り直し、新たなやり方で将来の展望を明示するのである。
(Gentzler 2002 in Tymoczko & Gentzler 2002)

 (3)(4)も含めて、メタファー図式を簡潔に示すと、以下のようになる。

(A)“translation as X”
  (3) 翻訳≒書き換え行為
  (4) 翻訳≒意図的・意識的な知の創造・文化形成行為
 (13) 翻訳≒介入的行為
  (14) 翻訳≒社会・経済・文化的創造行為、言語産出行為
  (15) 翻訳≒南北格差助長行為
  (16) 翻訳≒暴力行為
  (17) 翻訳≒翻訳者の立ち位置を反映したイデオロギー行為
  (18) 翻訳≒権力関係構築行為
  (19) 翻訳≒新たな文化的創造行為
  (20) 翻訳≒社会変革の促進行為
  (21) 翻訳≒文化構築行為

 こうした一連の「文化的・イデオロギー的転回」を経た学説群を分析すると、Mundayのいう(13)「介入としての翻訳」が基底となっていて、それが どういう歴史的場面で適用されるか、どういう社会的側面に焦点を当てているかによって力点の置き方が異なるとも言いうる。あくまでも目安としてではある が、以上の見解を次の3つの側面に分類してみたい。

(一) 受容言語における機能・役割
   ・・・(3)(16)(20)
(二) 起点言語=受容言語間における機能・役割
   ・・・(14)(15)(17)(18)
(三) 起点言語=受容言語を超越した機能・役割
   ・・・(4)(19)(21)
 では、これらの主張の歴史的・社会的コンテクストを加味しながら、順に検討してみよう。

(一) 受容言語における機能・役割
(3)はベルギーのLefevereによる主張で、文学テクストは権力、イデオロ ギー、制度などの要因で「書き換え(rewriting)」を余儀なくされ、権力的地位にある人々が一般大衆による消費を支配しているのに呼応して、翻訳 テクストも権力によって統御されているとする(Lefevere 1992)。これは受容言語内での支配的イデオロギーや支配的詩論によって、翻訳は原テクストの表象を歪めるとするものである。(16)はアメリカの Venutiの主張で、受容化(domestication)方略を採ることによって、翻訳はアングロ・アメリカの主流文化に反映される自民族中心主義を 後押しする暴力行為となるという(Venuti 1998)。(20)は中国のKenanによる主張で、中国において翻訳は社会変革のための触媒となってきたという(Kenan 2002)。これらはすべて、一言語内における翻訳の受容過程における翻訳の歴史的・社会的機能・役割に焦点を当てた議論である。同様の議論は、日本にも ある。少し引用してみよう。

(22) 福沢は「全集緒言」で、「吾々洋学者流の目的は、唯西洋の事実を明にして日本国民の変通を促し、一日も早く文明開化の門に入らしめんとするの一事のみ」と 概括している。彼はまた「世俗通用の俗文を以て世俗を文明に導くこと」ともその決意を表明していた。(吉田 2000)

当時、翻訳によって先進西洋文明を受容し、日本国およびその国民を文明開化させるとい う役割を翻訳が担っていたのである。このように、良きにつけ悪しきにつけ、翻訳は受容言語内での複雑な権力構造の中で大きな機能を担っているといえる。

(二) 起点言語=受容言語間における機能・役割
(14)はカナダのMossopの主張で、翻訳者は声(voice)の選択において主 体性があるという。基本的に翻訳という間接話法状況にある翻訳者が選択しうる声には、翻訳者の声、読者の声、原著者の声、翻訳依頼者の声、の4つがあり、 前者3つのいずれかを選択する(ないし反映させる)ことは文化的創造者・言語産出者としての翻訳主体の表れであり、後者を選択することは翻訳者が社会学 的・経済的主体であることの証左であるという(Mosspo 2007)。これは起点テクストの翻訳は受容言語における間接話法的状況であり、その間接性にどのぐらいコミットするかは翻訳者の文化・社会状況に拠る、 とするものである。(15)は中国のYamengの主張で、北=南間、および南=南間における翻訳に表象の歪みがあり、南北の格差が助長されるという (Yameng 2007)。何を、どう訳すか、についての判断が、発展途上国に関する十分な知識に基づいて行われていないため、戦争、占領、恐怖、病気、貧困などについ ての共感と理解が欠如し、歪んだ表象が翻訳によって作られるとするのである。(17)はアメリカのTymoczkoの主張で、翻訳のイデオロギーは翻訳者 がどういう政治的な立ち位置(position)を取るかによって決まるのであり、これはBhabhaの言う狭間の領域(space between)とは異なるとする(Tymoczko 2003)。翻訳はほとんどの政治的行為同様、社会に参画し社会的変革を興す有効な手段だと見る見方を反映している。 (18)はアメリカのJaffeの見解で、フランス語からコルシカ方言への翻訳は、フランスによるコルシカ支配への政治的抵抗という意味合いがあり、翻訳 は言語や文化の権力関係を前面に押し出すものだという(Jaffe 1999)。これに関連して、何を訳すかということについて次の見解が目を引く。

(23) 翻訳は概して一方通行である。弱小国は大国の文学のうち自国語に翻訳する価値があるものはすべて矢継ぎ早に翻訳するが、逆は成り立たない。弱小国は(大国 に対して)偏狭な見方や無視した姿勢を取るわけにはいかないが、大国は弱小国に対してはそういう姿勢を取ることができるのである。
(Boldizar 1979 in Jaffe 1999 in Baker 2010)

これらは[起点言語の国家(ないし共同体)]=[受容言語の国家(ないし共同体)]の間の権力不均衡からくる翻訳の政治問題を提起しているといえよう。

(三) 起点言語=受容言語を超越した機能・役割
(4)は翻訳に内包する政治・イデオロギー的な操作性を指摘するもので、アメリカの GentzlerとTymoczkoの見解である(Tymoczko & Gentzler 2002)。植民地主義や帝国主義が可能だったのは大国の軍事的・経済的優位だけでなく植民地や被支配者に関する知識や表象によっても支えられたわけであ り、それには翻訳が深く関与していたことから、そのことを一般に翻訳のもつ知識・文化の創造性について敷衍したものであるといえる。(19)はカナダの Simonによる見解で、フェミニズムの立場に立っている。主体が自由に越境する今日の世界において、翻訳は国民国家概念を弱め、文化の越境や偶発性によ る文化のダイナミックな創造を促すものとして捉えている(Simon 2002)。(21)はアメリカのGentzlerの見解で、起点言語=受容言語を超越した翻訳の機能・役割を概括的に捉えている(Gentzler 2002)。翻訳は起点言語側・受容言語側という差異を超えて、社会構築・文化構築を行う機能を担っているとする。

以上、(A)“translation as X”の諸学説を見てきた。「翻訳」を言語行為と捉えるか社会行為と捉えるかで分析の切り口や視点が随分異なるし、後者の場合にも、どういう社会的コンテク ストにおける翻訳の機能・役割を論じるかによって見解が大きく異なる。
 次号では、「拡張された翻訳概念」におけるメタファー(“translational act as X”: (5)〜(8))と、翻訳概念によって社会現象を分析する諸学説(“X as translation”: (9)〜(12))を分析する予定である。果たして暇学問の無価値の醍醐味が味わえるだろうか?おあとがよろしいようで。

参考文献(学説を直接引用したものに限る)
Baker, M. (ed.). (2010). Critical readings in translation studies. London/New York: Routledge.
Bielsa, E. and Bassnett, S. (2009). Translation in global news. London/New York: Routledge.
藤濤文子 (2007) 『翻訳行為と異文化間コミュニケーション―機能主義的翻訳理論の諸相―』松籟社
真島一郎(編)(2005)『だれが世界を翻訳するのか:アジア・アフリカの未来から』人文書院
Munday, J. (ed.). (2007). Translation as intervention. London/New York: Continuum International Publishing Group.
マンデイ, J.(著)・鳥飼玖美子(監訳)(2009)『翻訳学入門』みすず書房[原著Munday, J. (2008). Introducing Translation Studies. London : Routledge.]
Pym, A. (2010). Exploring translation theories. London/New York: Routledge.
谷口一美(2004)『認知意味論の新展開:メタファーとメトニミー』研究社
Tymoczko, M. and Gentzler, E. (eds.). (2002). Translation and power. Amherst/Boston: University of Massachusetts Press.
吉田忠(2000)「『解体新書』から『西洋事情』へ―言葉をつくり、国をつくった蘭学・英学期の翻訳」芳賀徹(編)(2000)『翻訳と日本文化』 (50-66頁)山川出版社
*編著論文集所収の個別の書誌情報は割愛している。