翻訳講義
山岡洋一
『ミル』自伝を訳す (4)

 
第5回講義(第1章第17段落)
 前回の講義で取り上げた第15〜16段落では、父親のジェームズ・ミルの著書『英領インド史』がテーマになり、同書で父親が東インド会社(East India Company)を厳しく批判したことが紹介されていました。これを受けた第17段落では、父親が東インド会社に勤務したことが述べられています。著者の ジョン・スチュアート・ミルも後に、父親と同じ会社に入り、同じ仕事をすることになるので、会社と仕事の性格をはっきりと読者に伝えておく必要があるので すが、既訳では、この点に問題があるように思えます。

 具体例をあげましょう。朱牟田夏雄訳では、第17段落の第3センテンスを次のように訳しています。

……父はインド通信審査部長の補佐役の一人に任命された。その仕事はインドに送る急送 公文書を起草して、経営の主要な各部門にいる理事諸公の決裁に供するということだった。……(朱牟田夏雄訳『ミル自伝』岩波文庫、32ページ)
He was appointed one of the Assistants of the Examiner of India Correspondence; officers whose duty it was to prepare drafts of despatches to India, for consideration by the Directors, in the principal departments of administration.

「急送公文書」とは何か
 たったこれだけの部分に、翻訳という観点でみて、たくさんの問題があります。いちばん簡単な例をあげれば、「急送公文書」でしょう。原文では despatches(dispatch)です。いくつかの英和辞典を調べると、この語の「訳語」として、「急送公文書」が正解のひとつであることが分か ります。しかし、despatchの訳語として正解だからといって、この文脈で使う言葉として正解だとはかぎりません。「急送公文書」というからには「普 通公文書」がなければなりません。「普通」か「各駅停車」がなければ「急行」がありえないのと同じです。父親が扱ったのは「急送」の公文書だけだったとは 書かれていない以上、英和辞典に書かれているdispatchの訳語から選ぶとすると、「公文書」の方が適切ではないでしょうか。

 ですが、これでもまだ問題があります。父親が起草したのは、「公文書」なのでしょうか。役人が作成するのが「公文書」であり、会社勤めの人が作成するの は「文書」のはずです。

構文の問題
 この点について考える前に、ひとつ、構文上の問題を解決しておきたいと思います。直観的には、whose duty it was ...のitは不要ではないかと思えます。なぜここにitがあるのか、誤植なのかと思えるのではないでしょうか。このitを無視し、whose duty was ...と読んで翻訳した人もいたのではないでしょうか。なぜここにitがあるのか、itがあるために意味が変わってくるのか、といった問題は、翻訳にあ たって是非とも解決しておくべきです。ですが、辞書や文法書などを頼っていては、おそらく簡単には答えがでてこないと思います。このような場合に、もっと 簡単に答えをだす方法があるので、それを紹介しておきましょう。

 もっと簡単に答えをだす方法とは、用例をみていく方法です。この場合なら、dutyという言葉が以下のような形で使われているかどうかをみていけばいい でしょう。
sb's duty is to do sth

用例を探す
 用例を探す方法はたくさんあります。第1に、英和や英英などの辞書で探す方法があります。ですが、用例の数に限度があります。第2に、インターネットの 検索サイトで探す方法があります。検索サイトをうまく使えば、インターネットを活用辞典として利用できます。ただし、インターネットには玉石混淆という性 格があり、とくにこの場合のdutyのように使用頻度の高い言葉では、石ばかりで玉がほとんどないということになりかねません。また、石と玉を見分けるの は、そう簡単ではありません。

 たとえばこういうことがありました。「コンテンツ」という言葉がありますが、少し考えてみると、何とも奇妙な言葉です。英語では「情報内容」を意味する のはcontentであって、contentsではないからです。いまでは「コンテンツ」は日本語として定着してしまったので、そんな議論も少なくなりま したが、この言葉が使われだしたころ、「コンテンツ」ではなく「コンテント」ではないかと議論になることがありました。そんな議論の際に、それではイン ターネットで用例を調べてみようという話になったことがあります。検索した結果、英文で複数形のcontentsが「情報内容」を意味している用例がかな り多いという結果になりました。「コンテンツ」派の勝ちということになったのですが、「コンテント」派は納得しません。もう一度よく見てみるべきだと主張 して、用例をひとつずつ調べていきました。その結果、やはりというべきか、意外というべきか、面白いことが分かりました。複数形のcontentsで「情 報内容」を意味している用例は大部分、日本、韓国など、東アジアの企業や機関のサイトのものだったのです。つまり、contentsの用例は大部分、玉で はなく、石だったわけです。

 そこで、第3の方法を使ってみたいと思います。『ミル自伝』の場合、インターネットに原文があるので、それをダウンロードして検索する方法が使えます。 原著者のジョン・スチュアート・ミルは19世紀のイギリスを代表する思想家ですから、これ以外にもいくつもの著作の全文がインターネットにあります。これ らをダウンロードしておけば、何かと便利でしょう。現役の著者の作品であれば、著作権の問題があるので、インターネットで全文をダウンロードできるという 場合は少ないでしょうが、原文が電子媒体で提供されているのであれば、同じ方法が使えますし、印刷されたものしかない場合でも、スキャナーがあれば、全文 をスキャナーで読み込み、OCRソフトで文字に変換する方法があります。

 パソコンのハードディスクのなかにあるファイルから用例を探し出す方法はいくつもあります。ここではそのなかでも簡単なGREP検索の方法を使います。 たとえばエディターの秀丸というソフトにGREP検索の機能があります。下の図が秀丸の検索画面と検索結果です。検索すると、『ミル自伝』の原文から、 25ほどのdutyの用例をすぐに探し出すことができます。それをみていくと、意外なことに、sb's duty is to do sthという形のものはなく、たとえば第7章に次のような用例があることが分かります。

  It was my obvious duty to be one of the small minority who protested against this perverted state of public opinion. ...

 これ以外にも似た用例がいくつかあり、要するにdutyという語が以下の形で使われていることが分かります。

it is sb's duty to do sth

 こうした用例をみると、whose duty it was ...のitが必要であることがわかりますし、ここにitがあるために特別な意味になるわけではないと安心することもできます。これでitの問題は片づい たので、つぎの問題をみていきましょう。

「理事」をめぐる混乱
 このセンテンスの訳でとくに問題になるのは、「経営の主要な各部門にいる理事諸公の決裁に供する」という部分です。ここには大きな問題が2つあります。 第1に「理事」という言葉が正しいのか、第2に理事は「経営の主要な各部門にいる」のかです。

 この第17段落では、東インド会社の役職名、組織名で次のような訳語が使われています。
(1) 理事たち、理事諸公  Directors
(2) 理事会  Court of Directors

 この「理事」も英和辞典でDirectorの訳語としてあげられている語のひとつですから、間違いではないともいえます。ですが、「急送公文書」の場合 と同じで、訳文の文脈上、どうも奇妙だという印象を受けます。「理事」という役職名、「理事会」という組織名はふつう、学校法人や財団、公団など、非営利 の法人に使い、「会社」には使わないからです。このため、「理事」という言葉をみると、東インド会社がどういう性格なのかが分からなくなります。「会社」 という名前なのに、会社ではないのだろうかと思えてくるのです。

 もうひとつ、「経営の主要な各部門にいる理事諸公」という部分を読むと、「理事」の地位が分からなくなります。「理事」とはいっても、法人を代表する立 場にあるのではなく、単なる中間管理職なのだろうかと思えるのです。同じ段落の少し後に「監督官会議」という言葉があり、「理事会」より上の機関のように 読めるので、そういう印象が強くなります。ですが、これも印象という程度のもので、それぞれの役割や地位について、明確な像は浮かんできません。何だかよ く分からないが、「理事」とか「理事会」とかがあって、父親のジェームズ・ミルはその下ではたらいていたということなのだろうと、漠然とした印象が残るだ けです。その意味で、朱牟田訳は何とも頼りない訳だと思えます。

 原文を読むと、そんなにあやふやな書き方はしていません。読者が必要とする情報をしっかり伝える文章になっています。もっともこの場合、原文で明確な部 分が訳文であいまいになる背景には、以前に指摘した読者の二重性という問題があります。原著の読者にとって、東インド会社の性格やその組織は、あらためて 説明する必要のないほどの常識だったはずです。翻訳書の読者にとって、これは常識だとはとてもいえません。翻訳者にとってすら、常識ではないかもしれませ ん。なかには、世界史、とくにイギリスかインドの近代史に詳しく、そんなことは常識だよと思う人もいるかもしれません。そうでないのなら、東インド会社に ついて事実を調べないかぎり、しっかりした翻訳はできません。その点について考える前に、もう一度寄り道をして、構文上の問題点を解消しておきたいと思い ます。

挿入語句という盲点
 ミルの文章を読むと、挿入語句が頻繁に使われているという印象を受けます(もうひとつ、倒置法がよく使われています)。

 挿入(Parenthesis)はたいていの英文法書で申し訳程度にしか扱われていません。いくつか調べた範囲では、まったく触れられていない場合も少 なくなく、いちばん最後の項目としてわずかに触れられている程度という場合も多いようです。たとえば、安井稔著『改訂版英文法総覧』(開拓社)では、最後 の第38章の最後(38.5)が「挿入語句」になっていて、こう書かれています。

 文中の他の語句と特に文法的な関係をもつことなく文の途中または終わりに挿入され、 説明的な役目をする語句を挿入語句といい, 通例, コンマ・ダッシュ・かっこなどで区切られる。(同書558ページ)

 この挿入語句という点を考えながら、第17段落第3センテンスを読んでみると、「経営の主要な各部門にいる理事諸公の決裁に供する」という朱牟田訳が奇 妙であることに気づくはずです。このfor consideration by the Directorsはコンマで区切られた典型的な挿入句だと解釈すべきです。

 皆さんの翻訳を読んでいて、この部分を以下のように訳した人がいました。訳語はほぼ、朱牟田訳のものを使っているので、問題がありますが、構文の理解と してはまったく正しいと思います。

……父はインド通信審査部長補佐の一人に任命されたが、そこでの仕事は会社運営の中枢 部で、理事会による決裁のために、インドへの公文書の草案を準備することであった。……

 この訳文を読めば明らかなように、「理事諸公」は「経営の主要な各部門にいる」わけではありません。これで、「理事は単なる中間管理職なのだろうか」と いう疑問は解消します。

最後に事実を調べる
 今回のテーマは前回の最後に話したように「事実を調べる」ことですが、このように遠回りしてきたのは、事実を調べる前に、原文をしっかり読み込む必要が あるという点を伝えたかったからです。翻訳に必要な情報の大部分は原文にあります。原文をしっかり読み込めば、ほとんどの情報が手に入ります。この第17 段落第3センテンスについては、ほんとうは原文の他の箇所も読み込んで、もっと遠回りをすべきなのですが、それでは時間が足りなくなります。遠回りは打ち 切って、「公文書」「理事」という訳語が正しいかどうか、事実を調べて検討したいと思います。

 イギリスの東インド会社はイギリスとインドの近代史できわめて重要な役割を果たしたので、多数の文献があります。本来なら、これらの文献をある程度読む べきだし、個人的には、アダム・スミス『国富論』のうち、ほとんど誰も読まないがほんとうに面白い第4編第7章と第5編第1章第3節を読んでほしいと思い ます。ですが、インターネットの検索サイトをうまく使うだけでも、かなりのことが分かるはずです。ただし、どんなに権威のある文献でもよく調べないと間違 いがたくさんあるものですから、ましてインターネットで無料で入手できる情報にはよくよく注意する必要があります。この注意を怠らなければ、インターネッ トは便利な手段になります。

 前述のように、インターネットで入手できる情報は玉石混淆ですが、dutyなどの言葉の使い方を調べるときより、東インド会社などの事項について調べる ときの方が、情報の信頼性は高いように思います。検索サイトも、言葉を検索するようには設計されておらず、事項を検索するように設計されています。この場 合なら、たとえば、インターネットの検索サイトで、"East India Company"と"Court of Directors"の2つのフレーズで検索するだけで、かなりのことが分かります。

 第1に、東インド会社は世界最古とはいえないまでも、イギリス最古の株式会社で、現在の株式会社の原型になった企業です。いまの「株主総会」にあたる Court of Proprietorsがあり、そこで選ばれたCourt of Directorsが実際の経営にあたっています。したがって、Court of Directorsは現在の企業にあるBoard of Directorsの前身だと考えていいようです。

 第2に、東インド会社は当初、東インド(現在のアジア)との貿易の独占権を認められた貿易会社でしたが、18世紀からはとくにインド亜大陸で領土を保有 するようになります。18世紀後半には民間企業が領土をもち、支配していることから起こる問題をある程度まで解消するために、東インド会社の業務のうち、 インド支配の部分をイギリス政府が直接に監督することになります。そのために作られたのが、この段落にでてくるBoard of Controlで、財務相などの政府高官で構成されています。これらの点をしっかりと確認しておけば、この段落を訳しやすくなるでしょう。

 このように事実を確認したとき、たとえば前述の読者の二重性を考えて、訳文に言葉を補う必要がでてくるかもしれません。ですが、翻訳である以上、原文か ら大きく離れることは許されません。というよりも、原文から離れて自由に書きたいという誘惑に負けないようにするのが、翻訳の質を高めるコツだと思いま す。原文の意味を十分に理解したとき、原文から離れて自由に書ければどんなに楽だろうと思えるはずですが、このときに原文に忠実に書いていくという制約を 敢然と引き受けることこそ、翻訳の王道だと思うのです。

 ですから、事実をしっかり調べて書いた訳文は、事実をあまり知らないまま訳した結果とほとんど変わらないという場合もあるはずです。たとえばこの第17 段落第3センテンスであれば、Directorsの訳語を変えるだけという場合もあるでしょう。ですが、読者がほとんど意識できないような細部の違いに よっても、読者の受ける印象はまるで違ってくるものです。訳者が意味をしっかりと理解したうえで訳していれば、読者に意味が伝わる可能性が高くなります。 逆に、訳者が意味をあまり理解しないまま訳している場合、読者に意味が伝わるはずがありません。最善の場合でも、分かったようで分からないという歯がゆさ が残るはずです。最悪の場合、チンプンカンプンという印象になります。ですから、翻訳にあたっては事実を調べ、原文の意味をしっかりと理解することが必要 不可欠なのです。

 以上の話を聞いて、Directorsやdespatchesをどう訳せばいいのかと質問したい人がいるでしょうが、その質問には答えません。答えて も、役に立つとは思えないからです。翻訳というものの性格上、この質問に対しては、個別具体的に、この文脈、この箇所に適した訳が何かを答えることしかで きません。ですから、この質問に答えても、皆さんがもう一度同じ原文を訳す必要に迫られないかぎり、役には立たないのです。

 たとえば、Directorsをどう訳すべきかは、文脈によって違います。文脈によって、「理事」が適切な場合もあるし、「指揮者」や「監督」、「ディ レクター」、「取締役」などが適切な場合もあります。英和辞典にある訳語がどれも不適切なら、新しい訳語を考えるか、新語を作る必要があるかもしれませ ん。ですから、文脈を判断し、意味をしっかりと理解することが、訳語を選ぶ前に必要になります。

 翻訳に実際にとりかかると、この語の訳語をどうすべきか、このセンテンスをどう訳すべきかばかりが気になるものです。ですが、ほんとうに必要なのは意味 の理解ですから、訳語や訳文を考えることより、意味を考えることに時間を使うべきでしょう。

 最後にもう一度強調しておきますが、意味を考える際には事実を調べることが重要ですが、事実を調べる前に、原文をしっかり読み込むべきです。翻訳に必要 な情報の大部分は原文にあるのです。「理事は単なる中間管理職なのだろうか」という疑問が解消したのは、原文にコンマがあることに気づいたからです。この ように、原文を細かく、深く読み込んでいくことが、翻訳にあたってもっとも大切です。

 原文を読み込んで疑問点を絞り込んでいけば、事実を調べる作業は楽になります。インターネットの検索サイトをうまく使うだけで十分だという場合もあるで しょう。しかし、検索サイトで探し出した情報が信頼できるかどうかを判断するには、幅広い教養が必要になることを最後に強調しておきます。幅広い分野の本 を読み、よく考え、幅広い教養を身につけておくことが、翻訳には不可欠です。
 

 
原文第17段落
   On learning, however, in the spring of 1819, about a year after the publication of the History, that the East India Directors desired to strengthen the part of their home establishment which was employed in carrying on the correspondence with India, my father declared himself a candidate for that employment, and, to the credit of the Directors, successfully. He was appointed one of the Assistants of the Examiner of India Correspondence; officers whose duty it was to prepare drafts of despatches to India, for consideration by the Directors, in the principal departments of administration. In this office, and in that of Examiner, which he subsequently attained, the influence which his talents, his reputation, and his decision of character gave him, with superiors who really desired the good government of India, enabled him to a great extent to throw into his drafts of despatches, and to carry through the ordeal of the Court of Directors and Board of Control, without having their force much weakened, his real opinions on Indian subjects. In his History he had set forth, for the first time, many of the true principles of Indian administration: and his despatches, following his History, did more than had ever been done before to promote the improvement of india, and teach indian officials to understand their business. If a selection of them were published, they would, I am convinced, place his character as a practical statesman fully on a level with his eminence as a speculative writer.

(2006年8月号)