翻訳講義
山岡洋一
『ミル自伝』を訳す (3)

 第4回講義(第1章第15〜16段落)
 仕事がら、出版社の翻訳書担当編集者や産業翻訳の発注者と話す機会がたくさんあります。そういうとき、翻訳者が足りないという話になることが少なくあり ません。翻訳者不足が、出版翻訳での産業翻訳でも共通の悩みになっているのです。

 翻訳者が足りないといっても、絶対数が不足しているわけではありません。翻訳者や翻訳学習者は余るほどいます。ではなぜ、翻訳者が足りないという話にな るのかというと、安心して仕事を任せられる人がきわめて少ないからです。

 たとえば、翻訳会社を経営する友人が最近、こんな話をしてくれました。ふだんはほんとうに信頼できる数人だけに依頼しているが、ときには仕事が大量に 入って、処理しきれなくなることがある。そういうときに他の翻訳者に依頼すると、たいていは箸にも棒にも掛からない翻訳があがってきて、やり直しに近いほ ど手がかかることになる。翻訳者はたいてい、英語ばかりにこだわって、意味を考えないか、でたらめな日本語を書いてくるので、使いものにならない……。



 編集者の友人も、同じような失敗談をよく話してくれます。それまでに付き合いのなかった翻訳家に翻訳を依頼するときは、その前にかならずその人の訳書を 読んで検討するのだが、それでもできあがった原稿を読んで、目を覆いたくなることが少なくない。そうなると、出版予定は決まっているのだから、本人の了解 を得て、自分で直すしかかなくなる。何日も徹夜のような状態で直すのだから、泣きたくなる……。

 こういう話はそれこそいくらでもあります。出版翻訳の編集者や産業翻訳の発注者に話を聞くと、信頼できる翻訳者が足りないという点では、ほとんど全員の 意見が一致しているようです。

 では、なぜそうなっているのか、翻訳を実際に行っている人も、行いたい人もいくらでもいるのに、そのなかに信頼できる人、人格ではなく、翻訳の質という 点で信頼できる人がほとんどいないのはなぜなのか。この点を考えていくと、答えは簡単には見つかりません。

 翻訳会社を経営する友人は、英語にばかりこだわって意味を考えず、日本語の質を高めようとしないからだという意見でしたが、これが答えになっているのか どうか、若干疑問もあります。なぜかというと、訳文の質は低いが、英語はしっかり読めているという翻訳はみたことがないからです。徹夜で直さなければなら ないような翻訳は例外なく、誤訳だらけの翻訳です。たとえば、第1回から何度も強調している構文解析ができていないのです。英語にばかりこだわっているの なら、せめて、構文解析は正しくできていなければならないはずです。

 しかし、英語にばかりこだわるからという見方には一理あるとも思えます。図1をみてください。インターネットのページの「ソース」を表示させたもので す。これはじつに簡単な例で、たいていははるかに複雑なのですが、これをみたことがある人はそう多くはないのではないでしょうか。図2はこれをブラウザー でみたものです。ユーザーにとって重要なのは図2であって、図1ではありません。図1にはほとんど関心がないのが普通でしょう。図1に関心をもつのは、 ウェブ・ページを作成する人だけでしょう。翻訳の場合、図1にあたるのが、原文です。英語から日本語への翻訳であれば、英語で書かれた原文です。翻訳者の 立場で図1に、つまり原文にこだわるのは当然ですが、読者にとって重要なのは図2、つまり、日本語で書かれた訳文だけであることに注意すべきです。

 ウェブのページを作成するときには、まず図1を書き、つぎにブラウザーで図2を表示させて確認します。うまくいっていなければ、図1に戻って修正しま す。図2で確認して図1を修正する。この作業を何度か繰り返して、しっかりしたページを作成します。つまり、図1と図2はフィードバックの関係にあるとい えます。フィードバックがうまくいかないと、読みにくくなったり、レイアウトが崩れていたりします。

 翻訳の場合なら、原文と訳文がやはりフィードバックの関係にあります。原文を読み、意味を考え、母語での表現を考えて、訳文ができます。訳文を読んで、 おかしいと思う点やどうも意味が通じにくいと思う点があれば、原文に戻って再検討します。奇妙だと思って再検討すると、原文を読み間違えていたのに気づく ことが少なくありません。誤訳に気づいて訳文を修正します。調べる作業が不足していたことに気づく場合もあるでしょう。その場合は、資料などを調べなおし た結果に基づいて、訳文を訂正します。そしてまた訳文を読み、問題点があれば原文を再検討します。このようなフィードバックを繰り返して、訳文を練り上げ ていきます。翻訳の質を高めるコツはここにあります。つまり、訳文の側、日本語の側に徹底してこだわり、おかしいと感じたら、原文を再検討することにある のです。

 このフィードバックの仕組みがうまく機能しない場合には、訳文の質は高くなりません。ですから、英語にばかりこだわるから安心して任せられる翻訳になら ないという見方にも、一理あるといえるのです。
 

 具体的なイメージを思い描いて訳す
 抽象的な話ばかりになっているので、具体例をあげましょう。今回訳してもらった第15〜16段落は、父親のジェームズ・ミルが書いた『英領インド史』を テーマにしています。そのなかに、こういう部分があります。原文の下線@の部分です。朱牟田訳はこうなっています。

……その前年、この本が印刷屋の手にかかっていたころ、私は父のために校正をする習慣 だった。もっと正確にいえば、父が校正をするのに、そばで私が原稿を読んだのである。……(朱牟田夏雄訳『ミル自伝』岩波文庫、30ページ)

「もっと正確にいえば」の後は、「正確」になっているのでしょうか。原文をみると、or ratherという表現が使われています。このratherという語は「むしろ」と訳すことになっていますが、それ以外にもさまざまな訳語があり、そのひ とつとしてたいていの辞書にでているのが、この「もっと正確にいえば」です。ですから、意地の悪い見方をすれば、or ratherの訳として「もっと正確にいえば」が正解だとしても、意味を考えない機械的な訳である可能性もあるわけです。意味を考えて訳すのであれば、こ の後にほんとうにもっと正確な説明がなければなりません。「父のために校正をする」ということの意味が、実際には、「父が校正をするかたわらで、原稿を読 んでいただけだった」といいたいのでしょうか。

 どうもよく分からないと思えば、ここでフィードバックの仕組みがはたらくはずです。原文を読みなおすと、I read the manuscript to him ...とあり、for himではなくto himなのですから、父のために読みあげていたはずで、父が校正作業をしているときに同じ部屋で原稿を読んでいただけではないはずです。

 そこで、以下のように変更してみます。

父が校正をするのに、そばで私が原稿を読んだのである。
  →父が校正をするのに、そばで私が原稿を読み上げたのである。

 これでもどうもよく分からないという印象をもつのであれば、もう一度フィードバックを行って、今度は、校正とはどういう作業なのかを少し調べてみるべき でしょう。出版にかぎらず、印刷が絡む仕事ではかならず校正という作業がありますから、少し調べればすぐに分かるはずです。もっとも、これは1817年の 話ですから、コンピューターなどあるはずもなく、印刷の方法がいまとは少し違っていました。もちろん、活字はありました。グーテンベルクが活躍したのは 15世紀半ばですから、活版印刷がはじまって400年近くもたっています。活字を使っていたわけですから、手書きの原稿をもとに、植字工が活字を拾って版 を組んでいきます。こうしてできた版を印刷前に試し刷りしたものが原文にあるproofsheetsであり、日本語では校正刷りといいます。校正とは校正 刷りを読んで、間違いを直していく作業です。その際には、著者が書いた原稿の間違いを直すことも重要ですが、活字を使った時代にはそれ以上に、植字工の間 違いを指摘して、修正するよう指示することが重要でした。つまり、原稿通りに活字が組まれているかを確認するわけです。そのためには普通、ひとりが原稿を 読み上げ、それを聞きながら、もうひとりが校正刷りに修正の指示を書き込んでいく方法をとりました(赤字で書くので、赤を入れるといいます)。ミル父子が やっていたのはまさにその作業だと想像できます。このような具体的なイメージをつかむと、訳文が書きやすくなるはずです。

 翻訳とは本来、こういう作業なのです。つまり原文を読んで、原文の表面に書かれている点から、原著者が伝えようとした意味、原著者の意図を読み取り、イ メージを膨らませて、その結果を母語で書いていく。原文の表面がどうなっているかではなく、原著者が伝えようとしたことを母語で読者に伝える。そういう訳 文になったと思えるようになるまで、原文と訳文の間でフィードバックを繰り返していく。これが翻訳です。

 朱牟田訳では、「もっと正確にいえば」の後があまり「正確」にはなっていないように思います。たしかに「正確」になるようにフィードバックを繰り返して いくべきです。ではどう訳せばいいのかと質問したい人もいるでしょうが、第1回の冒頭で話したように、その質問には答えません。どう訳すべきかは自分で考 え、自分で答えをださなければ、翻訳の力は養えないからです。

 注意しておくべき点をあげるなら、原文の表面に書かれている点から、原著者が伝えようとした意味、原著者の意図を読み取り、イメージを膨らませた後に書 く訳文が、そうしたイメージのないまま書く訳文とほとんど変わらないという場合もあるはずです。ほとんど変わらないのが普通かもしれません。膨らませたイ メージを伝えるために訳文が極端に長くなるようなら、日本語の表現力に問題があって、翻訳ではなく解説になっているはずです。ひとつの箇所での違いはごく わずかでも、それが積み重なっていくと天地の違いになる、それが翻訳です。

「精神」とは何なのか
 似たような問題が少し後にあります。原文の下線Aの部分です。朱牟田訳を引用しておきましょう。

……私は今なおこれを、今までに書かれた唯一の教訓的な歴史とはいえないまでも、すく なくとも最も教訓的な歴史の一つ、ある精神がおのれの見解を形成してゆく途上において最も多くの利益をくみとり得る書物の一つ、と考えるものである。(同 31ページ)

 ここで、「ある精神がおのれの見解を形成してゆく途上において」とはどういう意味なのか、はたして理解できるでしょうか。理解できないという人が多いの ではないでしょうか。であれば、フィードバックの仕組みを使って、原文の意味をもっと考えてみるべきではないでしょうか。

 じつは、これでは意味が理解できるはずがないというのは、いいすぎです。この訳文だけを読んで、意味を理解する方法があるのです。どういう方法かという と、訳文に「精神」と書かれているのだから、原文にはmindと書かれていたはずであり、mindは「人」、もう少し正確には「考える人」も意味する言葉 だ、だから、この「精神」は「人」に置き換えればいい。このように考えていく方法です。

 何ともややっこしい方法だと思うでしょうが、朱牟田訳が出版された1960年には、このような翻訳のスタイルと翻訳書の読み方がごく一般的でした。つま り、朱牟田夏雄が「ある精神がおのれの見解を形成してゆく途上において」と訳したのは、mindという言葉の意味を知らなかったからではないのです。朱牟 田夏雄は東京大学文学部英文科の主任教授であり、戦後の初期を代表する英文学者だったのですから、mindという言葉の意味ぐらいはもちろん、知っていた はずです。ですが、こうと訳すのが当時の常識だったから、「精神」と訳しただけです。

 1960年には、このような翻訳スタイルが一般的だったといいましたが、実際にはもっと長い期間にわたって、おそらくは明治の半ば以降、昭和の末まで、 つまり1990年ごろまで、このような翻訳スタイルが当然とされてきました。原文と訳文とで単語や連語、構文などを一対一対応させて訳していく、いわゆる 翻訳調のスタイルが使われてきたのです。こうしたスタイルは、「原文に忠実な訳」だとされてきましたが、いまでは「学者訳」と呼ばれていて、学者の間です ら嫌われるようになってきています。

 翻訳調を当然とする人がどのように考えるを示す例をあげましょう。もう10年以上前、1990年代の半ばにある本を訳したとき、登場人物のひとりがアン ドリュー・ジャクソンの子孫だと書かれている箇所がありました。原著には何の注釈もなくこの名前がでていましたが、原著はアメリカで出版されていますか ら、読者はみな、アンドリュー・ジャクソンがどういう人物なのかを知っているはずで、原著者は注釈を入れる必要を感じなかったはずです。ですが、前回に話 した読者の二重性という問題があって、翻訳書を読む日本の読者は、どういう人物なのか、ピンとこない場合が少なくないはずです。そこで、翻訳の原稿では 「第七代大統領のアンドリュー・ジャクソンの子孫」と書きました。ところが、編集者は古いタイプの翻訳に慣れ親しんできた人のようで、この「第七代大統領 の」の部分をどうしても受け入れようとしません。「原書と同時に読む人が不思議に思うはずだ」と主張して、訳注にすべきだと主張するのです。

 その本は一般読者向けの読み物ですから、「原書」などといえるものではないし、まして、翻訳書と原著を並べて読む読者などいるはずもないのですが、この 編集者は、そうした現実を理解できなかったのでしょう。出版された本では、翻訳者の意向を無視し、「第七代大統領」が割注として、つまり、括弧内に小さな 活字で2行に割っていれる注として扱われていました。

 ほんとうは、つまり法律上は、編集者はこういうことをしてはいけないことになっています。翻訳書の訳文については翻訳者に著作権があり、著作権のなかで とくに大切なものに同一性保持権という権利があって、出版社は著作権者である翻訳者の同意を得なければ、訳文を一字一句といえども変更してはならないとさ れています。ですから、翻訳者の立場では、このように編集者が勝手に直した部分があった場合、出版された本をすべて回収するよう求めることもできるし、損 害賠償を求めることもできるのです。このときは、そこまでことを荒立てる必要はなく、それより笑い話のタネにした方がいいと判断しました。

 それはともかく、「原書と同時に読む人が不思議に思うはずだ」というこの編集者の主張は、面白いと思いませんか。いまでは考えにくいことですが、数十年 前には、翻訳書というものは「原書と同時に読む」ものだったのです。いってみれば、原書を読むときのアンチョコ、つまり安直な参考書が翻訳書だったわけで す。いまではそういう読み方は考えにくいのですが、数十年前には、この『ミル自伝』のような本でまず想定されていた読者は、「原書と同時に読む」読者だっ たのでしょう。

 そう考えると、朱牟田訳でmindを「精神」と訳し、「ある精神がおのれの見解を形成してゆく途上において」という訳文になっている理由も少しは理解し やすくなります。

 朱牟田訳ではたとえば、この第14段落にでてきたmy father's History of Indiaは「父のインド史」と訳されています。ところが同じ第1章の第2段落で父親のジェームズ・ミルの代表作をThe History of British Indiaと紹介した部分では、「英領インド史」と訳されています。訳書だけを読む読者は、ジェームズ・ミルに『英領インド史』と『インド史』の2つの著 書があるのだろうかと不思議に思うはずですが、「原書と同時に読む」読者には、この方が親切だともいえます。

 いまでは、「原書と同時に読む」読者を想定して訳す必要などないわけですから、このような訳し方ではそれこそ読者が「不思議に思う」はずです。さきほど のmindの部分に戻って、皆さんの訳文をみていくと、たとえば、「一人の人間が自分の見解を形成する過程で」、「自己の意見を作り上げていく過程にある 青年が」などの訳文が目につきました。よく考えた訳だと思います。皆さんは既訳を読んで、とくに朱牟田訳を読んで検討したうえで訳しているはずですから、 「ある精神がおのれの見解を形成してゆく途上において」では何をいっているのか分からないと感じて、こう訳しているはずです。つまり、フィードバックの仕 組みがはたらいて、意味を考えた結果、訳文を書いているはずです。

 ところが、世の中にはmindを「人間」だとか「青年」などと訳しては、「原書と同時に読む人が不思議に思うはずだ」と考える人もいます。そういう人 は、原文に忠実に訳すべきだと考えているのですが、実際には原文の表面に使われている語句と、その訳語として定着している言葉に忠実なだけで、原著者の意 図や原著者が伝えようとした意味にはまったく忠実ではないのです。そして、こう考える人は、訳文を読んで奇妙だとか理解できないとか感じる部分があって も、原文にそう書いてあるのだからという理由で、修正しようとは思わないようです。これでは、フィードバックの仕組みははたらきません。英語にばかりこだ わる翻訳が誤訳だらけになるのは、たぶん、このためなのでしょう。

 翻訳調の翻訳は明治半ばから昭和末ごろまで、ほぼ100年にわたって主流になっていました。そして、翻訳調では通用しなってからまだ20年ほどしか経っ ていません。ですから、翻訳者の大部分が例の編集者のように、翻訳調から抜け出せていないとしても不思議だとはいえません。翻訳者が不足しているのがその ためであれば、学生の皆さんには活躍の場が広がっているといえるでしょう。

調べることの重要性
 最後に第16段落では、前回にも話した点ですが、事実を調べたうえで訳すことがとくに重要だと思います。ここにでてくるcommercial priviledges、government、subjectsなどの言葉は、イギリスの東インド会社がどういう性格のものだったかを知らなければ、 しっかりと訳すことができないはずです。この点がとくに重要になるのは、次の第17段落ですから、次回のテーマにしたいと思います。

第15〜16段落原文

     A book which contributed largely to my education, in the best sense of the term, was my father's History of India. It was published in the beginning of 1818. @During the year previous, while it was passing through the press, I used to read the proofsheets to him; or rather, I read the manuscript to him while he corrected the proofs. The number of new ideas which I received from this remarkable book, and the impulse and stimulus as well as guidance given to my thoughts by its criticisms and disquisitions on society and civilization in the Hindoo part, on institutions and the acts of governments in the English part, made my early familiarity with it eminently useful to my subsequent progress. And though I can perceive deficiencies in it now as compared with a perfect standard, AI still think it, if not the most, one of the most instructive histories ever written, and one of the books from which most benefit may be derived by a mind in the course of making up its opinions.
    The Preface, among the most characteristic of my father's writings, as well as the richest in materials of thought, gives a picture which may be entirely depended on, of the sentiments and expectations with which he wrote the History. Saturated as the book is with the opinions and modes of judgment of a democratic radicalism then regarded as extreme; and treating with a severity, at that time most unusual, the English Constitution, the English law, and all parties and classes who possessed any considerable influence in the country; he may have expected reputation, but certainly not advancement in life, from its publication; nor could he have supposed that it would raise up anything but enemies for him in powerful quarters: least of all could he have expected favour from the East India Company, to whose commercial privileges he was unqualifiedly hostile, and on the acts of whose government he had made so many severe comments: though, in various parts of his book, he bore a testimony in their favour, which he felt to be their just due, namely, that no government had on the whole given so much proof, to the extent of its lights, of good intention towards its subjects; and that if the acts of any other government had the light of publicity as completely let in upon them, they would, in all probability, still less bear scrutiny.

2006年7月号