翻訳講義
山岡洋一

『ミ ル自伝』を訳す

 最近、大学生を対象に翻訳を教える機会が得られた。そこで、『ミル自伝』を全員に少 しずつ訳してもらい、原文と学生の訳文を教材にして翻訳の考え方を伝えることにした。『ミル自伝』は古典翻訳塾でもテキストにしているので、プロの翻訳者 が多い古典翻訳塾生の訳と学生の訳の違いという点で、さまざまに学べる点があった。以下では、第1章第1段落を対象にした第1回講義の内容を紹介してい く。

 『ミル自伝』第1章第1段落

 皆さんの訳文を読んで、さまざまな点を考えました。何人かの訳文は素晴らしく、もちろんいくつか問題もありますが、それを解決して最後まで訳せるのであ れば、新訳として出版することも可能なのではないかと思えたほどでした。半面、これでは課題が難しすぎると感じた人が多かったのではないかとも思いまし た。課題がかなり難しいのは事実ですから、その点について、まず触れておきます。

『ミル自伝』の著者、ジョン・スチュアート・ミルは19世紀のイギリスを代表する思想家、哲学者、経済学者であり、1806年に生まれ、1873年に死亡 しています。この本が書かれたのは19世紀後半です。当時の本のなかで、『ミル自伝』がとくに難しいというわけではないと思いますが、現在と比較して、当 時は英語の文章が一般にはるかに難しかったように思います。ですから、現在の英文を読み慣れているはずの皆さんにとって、『ミル自伝』の英文がきわめて難 しいとしても不思議ではありません。その難しい本に今回、挑戦してもらった理由は2つあります。

 第1に、いまの段階で難しい翻訳に取り組んでおけば、将来、役立つことがあるはずだと考えています。翻訳は今回がはじめてという人が多いようなので、は じめに難しい翻訳に取り組んでおけば、今後、たいていの翻訳はやさしいと感じるはずです。これが難しい課題に取り組むことの大きな利点だと考えます。

 第2に、翻訳は、原文が難しいからこそ価値があるといえます。いまでは英文を読むだけなら問題はないという人が多いので、原文が簡単に読めて理解できる もの、楽しめるものであれば、翻訳の意味はあまりないともいえます。原文が簡単には理解できないほど難しければ、読者にとっては翻訳を読む意味があり、訳 者にとっては翻訳する意味があるといえます。ですから、いまのうちに難しい翻訳に取り組むことは十分に価値があると考えます。

 それだけではなく、翻訳とはそもそも、自国になかった知識や考え方などを吸収するために行うものですから、理解が困難なほど難しい原文と格闘してできあ がっていくものです。『蘭学事始』に書かれた『解体新書』翻訳の苦労話はご存じだと思いますが、あれが翻訳の原点です。『ミル自伝』が極端に難しいと感じ るのであれば、翻訳の原点を体験できるわけですから、将来、何らかの点で役立つことがあるはずです。

 講義の進め方について、いくつかの点をお断りしておきます。第1に、これは事前に話した点ですが、皆さんの訳文を読んで、そのなかから浮かんできた一般 的な問題を論じていくという形で講義を進めていきます。添削を希望する人もいるでしょうが、基本的に添削は行いません。これがフィギュア・スケートの講習 なら、コーチはたとえばイナバウアーをやってもらい、どこに問題があり、どうすればもっとうまくできるかを具体的に教えるという方法をとるでしょう。それ でイナバウアーができるようになれば、学んだ側は何回でも何十回でも、何百回でもその技を使うことができます。翻訳の場合はそうはいきません。課題文を翻 訳してもらってでてきた具体的な問題を指摘し、どこに問題があり、どうすればもっとうまくできるかを具体的に教えても、同じ原文を訳すことはなく、同じ表 現を訳すこともまずありません。個別具体的にこの部分がうまく訳せるようになっても、じつはあまり意味がないのです。もっと一般的な技術を磨き、一般的な 考え方を身につけなければ上達しないのです。そういう理由で、個別具体的な改良点は指摘しませんので、一般的で抽象的な指摘を具体的な訳文に活かすよう、 努力してほしいと願っています。

 第2に、皆さんの訳文を読むと、もう少し良くなれば新訳として出版できると思えるほど質の高いものもあれば、そうとう苦労したと思えるものもあります。 力にかなりの差があると感じたのです。このため、どうすれば優れた訳文がもっと良くなるのかを話すと、かなりの人にとってはあまり役に立たない講義になる でしょうし、そうとう苦労したと思える人に向けた話をすれば、逆に、質の高い翻訳ができた人にとってはあまり役に立たない講義になるでしょう。わたしは教 育者ではなく、翻訳の実務家ですから、ほんとうはとくに優れた訳ができた人に向けて話をしたいのですが、この授業の趣旨を考えて、主に逆の方法をとりま す。つまり、全員のレベルを引き上げることを中心に考えます。ある意味で、そうとう苦労したと思える人を依怙贔屓するわけです。ですがときには、質の高い 翻訳ができた人を依怙贔屓することもありますので、あらかじめお断りしておきます。

翻訳の基本の基本
 英文和訳には慣れていても、翻訳ははじめてという人が多いようなので、第1回の今回は翻訳の基本の基本について、3つの点を指摘します。第1に、翻訳と は意味を伝えるものだという点、第2に、翻訳にあたっては構文解析がきわめて重要だという点、第3に翻訳にあたって辞書や資料を最大限に活用すべきだとい う点です。

翻訳とは意味を伝えるもの
 基本の基本の第1は、翻訳とは意味を伝えるものだということです。外国語で書かれた原文を読み、その意味を理解し、解釈し、読者に伝えるのが翻訳です。 このような基本中の基本、いってみれば当たり前のことについて話すのは、皆さんの訳を読んで、意味が分からないまま訳文を書いていると思われるもの、意味 を理解しているとしても、読者に伝わりにくいと思われるものが少なくなかったからです。

 はなぜ、意味が伝わらない訳文、意味が理解できない訳文になるのか。もちろん、原文が難しかったからということがあるのでしょうが、それだけではありま せん。ひとつにはおそらく、このような授業の課題として翻訳に取り組むとき、読者に意味を伝えようという姿勢になりにくいという問題があるのでしょう。実 際に訳を読むのは教師だけです。そして教師はもちろん、原文を読んでいるし、意味も理解しているはずです。ほんとうの意味での読者がいないわけですから、 読者を意識するのが簡単ではないはずです。そこで、課題文を翻訳した後に、親や兄弟姉妹、友人などに訳文を読んでもらうことを考えた方がいいかもしれませ ん。実際に読んでもらわなくても、誰か身近な人を頭に思い描いて、その人に理解してもらえるかどうかを考えながら訳していくだけで、訳文がずいぶん良くな る可能性があります。

 じつのところ、仕事として翻訳に取り組む場合にも、これと同じ問題が発生します。仕事としての翻訳であれば、たしかに読者がいるわけですが、翻訳者に とって読者の顔が見えている場合はむしろ少ないといえるはずです。翻訳者にとって顔が見えるのは、発注者です。出版翻訳なら編集者だし、産業翻訳なら発注 企業や翻訳会社の担当者です。これらの発注者はふつう、原文を読んでいますし、少なくとも持っています。翻訳者にとっては直接の発注者に気に入ってもらう ことが重要ですから、発注者のために訳すという姿勢になりがちです。最終的な読者に意味を伝える姿勢が薄れることになりがちです。ですから、どんなときに も、読者に意味を伝えるのが翻訳の役割であり、読者は原文を読んでいないという事実を肝に銘じておく必要があります。原著者が原文で伝えようとした意味を 日本語で伝えるのが翻訳者の役割であり、意味が伝わらない訳文、意味が理解できない訳文を書いてはいけないのです。

 意味が伝わらない訳文、意味が理解できない訳文になる理由にはもうひとつ、逆説的ですが、原文の一語一語に適切な訳語をあてはめようと必死になることも あげられます。真面目に真剣に翻訳に取り組むからいけないといっているように聞こえるかもしれませんが、そういうわけではありません。原文の一語ずつに注 目するのではなく、原文が全体として伝えようとしていることに注目するべきです。原文が伝えようとしている意味に注目するのです。この点に注目すると、つ ぎに、原文が伝えようとしている意味を日本語で読者に伝えるにはどうすべきかを考えるようになります。訳語を考えるのではなく、日本語の文章を考えるよう になります。たぶん、これが第一歩でしょう。

第1回課題
John Stuart Mill, Autobiography の第1章を読んだ後、第1段落を翻訳してください。

    It seems proper that I should prefix to the following biographical sketch, some mention of the reasons which have made me think it desirable that I should leave behind me such a memorial of so uneventful a life as mine. I do not for a moment imagine that any part of what I have to relate can be interesting to the public as a narrative, or as being connected with myself. But I have thought that in an age in which education, and its improvement, are the subject of more, if not of profounder study than at any former period of English history, it may be useful that there should be some record of an education which was unusual and remarkable, and which, whatever else it may have done, has proved how much more than is commonly supposed may be taught, and well taught, in those early years which, in the common modes of what is called instruction, are little better than wasted. It has also seemed to me that in an age of transition in opinions, there may be somewhat both of interest and of benefit in noting the successive phases of any mind which was always pressing forward, equally ready to learn and to unlearn either from its own thoughts or from those of others. But a motive which weighs more with me than either of these, is a desire to make acknowledgment of the debts which my intellectual and moral development owes to other persons; some of them of recognized eminence, others less known than they deserve to be, and the one to whom most of all is due, one whom the world had no opportunity of knowing. The reader whom these things do not interest, has only himself to blame if he reads farther, and I do not desire any other indulgence from him than that of bearing in mind, that for him these pages were not written.


構文解析が重要
 皆さんの訳文を読んで、強く感じた点のひとつは、構文解析がうまくできていない人が多いことです。構文解析は構文分析ともいいますが、要するにSVOと かSVOCとかのことです。翻訳にあたっては、主部がどれで述部がどれで、何と何が並列されていて、代名詞や代動詞が何を受けていて、関係詞の先行詞が何 で、といった点をしっかりと確認すべきです。

 構文が分からなければ翻訳はできません。これは翻訳者にとっては常識なのですが、通常、英語教育では構文解析はほとんど無視されています。たとえば、構 文解析に関する解説書や研究書を探しても、大学生や翻訳者に勧められるものはほとんどみあたりません。うんと古いものなら、C.T.アニアンズ著『高等英 文法−統語論』(文建書房)などがありますが、最近の本では柴田耕太郎著『翻訳力練成テキストブック』(日外アソシエーツ)が目立つだけで、他には勧めら れるものがないのです。高校生用の参考書には構文について若干の説明がある場合がありますが、構文解析の方法をまともに説明したものは少ないようです。構 文については高校の授業で少し触れるだけで終わりとされているようです。構文解析というのは、ほんとうに人気のない分野になっているように思えます。

 では、翻訳にあたって構文が重要だという理由は何なのでしょうか。答えは単純です。先程お話したように、翻訳とはそもそも、原文が簡単には理解できない からこそ取り組むものです。一読して意味が分かるようなら、翻訳の必要はあまりありません。一度読んだくらいではとても理解できないからこそ、翻訳が必要 になります。そして、簡単には理解できない原文を読みといていくとき、手掛かりになるのが構文の解析なのです。

 具体例をあげて説明しましょう。今回の課題でおそらく、いちばん難しかったのは3番目のセンテンスです(2番目の下線の部分です)。なぜ難しいかという と、現代の英文ではめったにないほど、複雑な構文になっているからです。節のなかに節あり、そのなかにまた節があるというように、何重もの入れ子構造に なっています。構文が複雑なため、何をいおうとしているのか、簡単には理解できないのですが、構文が分かれば、何のことはない文章として、理解できるよう になるはずです。

 このセンテンスの主部、述部は何か。これは簡単に分かります。Iが主部、have thoughtが述部ですね。そしてthat以下の節が目的語になっています。このセンテンスの柱は、I have thought that、これだけです。ではthat以下の節はどうなっているか。まずin an ageはどうみても副詞句です。このageを先行詞とする関係代名詞のwhichがあり、in which以下の節がin an ageを修飾しています。この節がhistory,まで続いています。ですから、in an ageからhistory,までをいったん括弧でくくります。ここはthat以下の節の柱ではないからです。

 つぎにit may be usefulとあり、またthatがあって節になっています。この部分が冒頭のthat以下の節の主部と述部になっているのは明らかです。つまり、I have thought that it may be useful that ... がこのセンテンスの柱です。

 このように解析していくと、この2番目のthatで導かれる節の柱の部分、there should be some record of an educationが、意味の上では、このセンテンスの核になっていることがわかるはずです。その後に続いているのは、educationを先行詞とする 関係代名詞のwhichに導かれる2つの節です。2番目の節にはin those early yearsという副詞句があり、これにさらにyearsを先行詞とする関係代名詞のwhichに導かれる節がついており、その節のなかにさらに副詞句と節 があるという構造になっています。

 以上をまとめると、以下のように図式化できます。関係詞と先行詞など、構文解析の際に重要な部分には下線を引いてあります。

第1段落第3セ ンテンスの構文

But I have thought
that
in an age
in which education,
and
its improvement,
 are the subject of more,
if not of profounder
study
than at any former period of English history,
it may be useful
  that
  there should be some record of an education
which was unusual and remarkable,
and
which,
whatever else it may have done,
  has proved
how much more than is commonly supposed
  may be taught,
  and
    well taught,
in those early years
which,
in the common modes of what is called instruction,
  are little better than wasted.


 このように、一読しただけでは分かりづらいほど複雑な構文でも、皆さんがよく知っている主部、述部、目的語、補語、関係詞、接続詞、句、節などに分解し ていくと、簡単に分かるようになります。これが構文解析です。構文解析というと難しそうに聞こえるかもしれませんが、このように、ごくごく常識的なことを 確認していくだけのことですから、英語や英米文学を専攻している皆さんには楽にできるはずです。

 こんな厄介なことはやっていられないと思うかもしれませんが、これを数か月も続けていれば、とくに意識しなくても、英文を読んだときに構文がすっと理解 できるようになるはずです。無意識のうちに構文が解析できるようになるはずなのです。そうなるまで、しばらく我慢して、厄介な構文解析を行って訳してくだ さい。

 その際に注意すべき点が2つあります。第1は、文中にあるすべての語が説明できているかどうかです。このセンテンスでいえば、たとえば、of profounderのofと-erが説明できているかどうか。これは、以下のように考えれば、簡単に説明がつきます。

      the subject of more (study than ... ),
[if not (the subject) of profounder study than ...]

 このようにすべての語が矛盾なく説明できていれば、構文解析が成功している可能性が高いといえます(別の解析が可能で、意味上、その方が正しいという場 合もありますから、成功したと断言することはできませんが)。逆に、どこかに矛盾があれば、たとえば、主部と考えた名詞が複数形なのに、述部と考えた動詞 に三単現のsがついているといった矛盾があれば、構文解析が間違っている可能性が高いといえます(原文が間違っている場合もあるので、間違いだと断言する ことはできませんが)。

 第2に注意すべき点として、構文解析は原文のセンテンスの構造をつかみ、意味を理解するために行うことをしっかりと確認しておくべきです。なぜかという と、構文の解析を突き詰めていくと泥沼に落ちこみかねないからです。たとえば、この部分でhow much more than ...のthanの品詞は何かと聞かれると、正直なところ答えに窮します。接続詞に決まっているだろうという意見もあるでしょうが、関係代名詞だという説 もあり、疑関係代名詞とする説もあり、さらに接続詞の関係代名詞的用法だという説もあります。英文法は品詞という基本的な部分ですら、さまざまな説があっ て決定的なことはいえないという事情があるのです。構文解析に人気がないのは、たぶん、すっきりした答えが出るとはかぎらないからでもあるのでしょう。そ ういう状況があるので、英文法を研究するのであればともかく、翻訳が目的であれば、ある程度はあいまいな部分が残る状態で満足するしかないように思いま す。

辞書と資料を活用する
 翻訳にあたっては、辞書や資料をできるかぎり利用するべきです。たとえば、電子辞書に入っている英和中辞典だけで翻訳に取り組むのは無茶です。もっと大 きな辞書を使うべきです。わたしがふだんどのような辞書を使っているのかを紹介しておきましょう。翻訳をするときに坐る席から手の届く範囲だけで数十冊の 辞書がありますが、とくによく使う辞書は以下の通りです。

英和辞典
リーダーズ英和辞典
研究社新英和大辞典
ランダムハウス英和大辞典
ジーニアス英和大辞典
新英和活用大辞典
リーダーズ・プラス
国語辞典
新明解国語辞典
ハイブリッド新辞林
広辞苑
英英辞典
Shorter Oxford English Dictionary
Cambridge International Dictionary of English

 これ以外に類語辞典や分野別の各種辞書があり、パソコンにも多数の辞書が入っています。こうした辞書を最大限に活用して、翻訳の質を高めるよう努力して います。皆さんは学生ですから、これらの辞書を揃える必要はありません。ですが、英語や英米文学を勉強するのなら、大英和辞典を少なくともひとつは買って おくべきでしょう。また、図書館に行けば辞書はたくさんあるはずですから、疑問があれば図書館の辞書を活用してください。

 翻訳者はたぶん、辞書の使い方が一般の人と違っています。いちばん違う点は、辞書を引く頻度でしょう。1日に何十回も何百回も辞書を引きます。知らない 言葉がでてきたときだけではなく、知っている言葉でも、繰り返し辞書を引きます。確認のために引く場合もあるし、知っている言葉でも意味が知っているもの とは微妙に違っていると感じたときにも辞書を引きます。

 また、翻訳者は容易なことでは辞書を信じません。とくに英和辞典は信じません。何故かというと、英和辞典には「訳語」が並んでいますが、語や連語の「意 味」が書かれていないからです。翻訳にあたって必要なのは訳語ではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。翻訳にあたって必要なのは、意 味の理解です。意味が理解できれば、それを日本語でうまく表現するのが翻訳です。「訳語」がいくら並んでいても、意味が分からなければ、訳文は書けないの です。

 もちろん、英和辞典には訳語以外の情報も盛り込まれています。たとえば文型の情報、用例などがあります。今回の範囲で、大きな英和辞典が役立つ例をあげ ておきましょう。この例は、構文解析の重要性を示すものでもあるので、今回の講義のテーマにぴったりだと思えます。

 皆さんの訳文を読んでいくと、第1センテンスのprefixという言葉で苦労した人が多かったように感じました(1番目の下線の部分です)。第3センテ ンスと比較すれば、このセンテンスは構文が簡単ですから(といってもかなり複雑ではありますが)、センテンス全体の構文については各自で考えてもらうこと にして、ここではprefixについてだけ考えていきます。

 まず、この語の品詞は何でしょうか。たぶん、「接頭辞」などと訳される名詞でたまに見かける語ではありますが、この場合はI should prefixというつながりになっているので、誰でも動詞として使われていることに気づくはずです。そこで問題。このprefixは自動詞でしょうか。他 動詞でしょうか。関連する問題。この部分は以下の形になっています。

I should prefix to the ... sketch, some mention ...

 このsome mentionは構文上、何なのでしょうか。そういう疑問をもって大きな辞書を引き、少し頭をはたらかせると、たぶん、問題が一挙に解決します。この語は 他動詞で、次のような形で使います。

prefix O to sth

 この形で、「O(目的語)の前に、何か(sth)を置く」という意味になるのです。原文ではOがprefixの直後になく、その代わりにto sthがあるわけですから、some mentionが目的語のはず、つまり、some mention以下、センテンスの終わりまで続く長い長い目的語を後ろにし、to sthを前に置いたのだろうと見当がつきます。そう考えても、構文解析上の問題は見当たらないし、意味上も問題はないようなので、これがおそらくは正解な のだろうと安心できます。

 このように辞書を活用し、構文解析を行えば、翻訳の基本中の基本として第1にあげた点、つまり読者に意味を伝える役割を果たせるのです。

 翻訳に使うのは辞書だけではありません。それ以外にさまざまな資料や文献などを使います。手に入るもの時間の許すかぎり最大限に活用して、質の高い訳を 読者に提供するのが翻訳です。活用すべき文献のひとつに既訳があります。この課題で取り組んでいるのは英文和訳ではなく、翻訳ですから、既訳を読むのは当 然です。朱牟田夏雄訳(岩波文庫)など、いくつかの既訳がありますから、図書館で借りるか古書店で買ってしっかり読んでください。ただし、既訳を真似るだ けで終わらないように。既訳がある場合の翻訳とは、既訳を超えなければ意味がありません。既訳をよく検討し、既訳を超える訳をだすよう努力してください。

 今回の講義では、皆さんの訳文を読んで真っ先に指摘しておくべきだと感じた点、翻訳の3つの基本について話しました。今回の話に基づいて、訳文を修正で きるようなら、修正してみてください。参考のために、古典翻訳塾での訳例を掲げますので、自分の訳と比較してください。


古典翻訳塾の訳例

第一章
子供時代と早期教育

 たいした出来事もなかった人生をなぜ記録に残しておこうと思い立ったのか―これから自伝めいたものを書き綴るにあたり、はじめにその理由を記すのは書き 手のつとめであるように思う。ここに書き留めておきたいことは、読み物としてはもちろん、私に関する資料としても、到底読者の興味を引くものにはなりそう もない。だが教育の記録としてならどうだろうか。いまの英国では教育や教育改革を取り上げた研究がかつてなく増えている。追究が深まったかどうかはともか くさかんには論じられているのだから、並はずれて変わった教育も記録に残す意味があるかも知れない。しかも私に施されたその教育は、効果のほどはさてお き、普通に考えられているよりはるかに多くを子供のうちに教えられること、それも無理な詰め込みではなく教えられることは見事に証明している。およそ教育 と名のつくものでは幼少期がほとんど生かされないのが通例であることを考えると、この点でも記録に値するだろう。加えていまは思想や価値観が大きく変わろ うとしている。このような時期には、他人の思想からもすすんで学び自らの誤りを正すことを心がけて歩んできた人間の成長過程の記録があれば、いくらかは意 義もあり役にも立つかと思う。だがじつは、ここに挙げた以上に大きな理由がある。それは、私の知的・精神的発達に力を貸してくれた人たちに感謝の意を表し たいということである。すでに世に認められた人、正当に評価されていない人、そして、誰よりも感謝を捧げたいのに世間に知られる機会がまったくない人に感 謝したい。こんなことには関心のない読者もおられるだろうから、ここでお断りしておく次第である。本書が書かれた意図を知ったうえでこの先を読み進まれる のであれば、興味の持てない記述が続いても致し方なしと大目に見ていただかなければならない。
(AM)


(2006年5月号)