翻訳講義 (5)
山岡洋一

訳語の選択

 
 これまでに課題文を訳し、全員分の訳を配布し、問題点を指摘して、2度にわたって改定してもらいました。今回は皆さんの3回目の訳、いわば第3稿に基づ いて、訳語の選択について考えていきます。

 まずは一般論から。翻訳とは、原文を読み、調べ、理解し、書く作業です。原文を理解するためには構文をしっかりと解析し、辞書を引き、資料を調べること がとても重要です。このうち、構文の解析についてはすでに説明しましたし、それに関連して、パラグラフの論理構造の理解についても説明しました。資料を調 べるという点についていうなら、課題文はフランクリン・D・ローズベルトの第1期大統領就任演説ですから、演説が行われた1933年3月というのがどうい う時期で、ローズベルト大統領がどのような政策を掲げて何を行ったのかを調べることがとても重要です。いまではインターネットに大量の情報がありますか ら、検索サイトをうまく使って、必要な情報を探し出すことができます。もちろん、1930年代の大恐慌とローズベルト大統領のニューディール政策について はたくさんの本がありますから、それを読んで十分な背景知識を獲得しておくべきです。

 辞書を十分に引くことも大切です。翻訳の世界には、こういう格言があります。

 たかが辞書、信じるは馬鹿、引かぬは大馬鹿

 辞書も所詮は人間が作ったものですから、絶対ではありません。不十分な点や間違いもあります。ですから盲信してはいけない、しかし、辞書を引かないのは 大馬鹿なのです。

 翻訳者の辞書の引き方は、普通とは少し違っているかもしれません。以前に学生からこんな話を聞いたことがあります。ふだん使っている電子辞書に「しおり 機能」があって、引いた単語にしおりを付けることができるのだそうです。わたしは紙の辞書を使うので、この機能が電子辞書にふつうに付いているのかどう か、よくわかりませんが、その学生は一度引いた単語はそのときに覚えることにしているので、かならずしおりを付けておくと説明してくれました。だから、引 いた単語にしおりがついていると、ほんとうにがっかりするのだそうです。同じ単語を引きたくないというのはたぶん、ごく普通の感覚なのでしょうが、翻訳者 はそうは考えません。翻訳にあたってほんとうに難しいのは、中学や高校で習うような単語、使用頻度の高い単語だからです。そういう単語は意味の範囲が広い し、イデオムも多いので、思わぬ意味で使われていることがあります。だから何十回でも何百回でも引きます。1日に同じ単語を何度も調べることもあります。

 なぜこのように違うのかというと、おそらく、言葉というものについての感覚に違いがあるからでしょう。一度引いた単語はそのときに覚えるというとき、何 を覚えるのでしょうか。単語の綴りと発音、そして英和辞典のその項に最初にでているか太字で書かれている訳語、これがすべてではないかと思います。訳語を 覚えていれば単語は理解できている、そう考えているはずです。これは学校英語、とくに受験英語で知らず知らずのうちにたたき込まれている考え方です。翻訳 者はそうは考えません。訳語がわかっても、じつは何もわかっていないと考えるのです。訳語がわかっても、その単語の意味はわからない。単語の意味は、ひと つやふたつの訳語ではわからないほど広く、深いのが普通です。そもそも、訳語を何十並べてもわからないほど広く、深いのです。英和辞典に書かれている訳語 は、意味を考える際の手掛かりになるので、とてもありがたいのですが、逆にいえば、手掛かりになるだけだともいえます。だから翻訳者は、同じ単語を何回 も、何十回も引いて、訳語の奧にある意味を考えます。

 具体例をあげましょう。これは第2回に指摘した点ですが、第2パラグラフの最後にあるthousands of familiesを「何千もの家族」とした人がたくさんいました。たぶん、thousandという誰でも知っている単語を辞書で調べてみれば、こうは訳さ なかったはずです。複数形のthousandsが「何千」とは限らないことは、たいていの辞書にでていますから。

 また、第3回で指摘した点ですが、第2パラグラフにあるconcernの意味を間違えた人がいました。これも辞書を引いていれば簡単に防げた間違いで す。英和辞典には、訳語以外に役立つ情報がたくさんあります。品詞もそのひとつですし、用例や文型も重要です。自動詞と他動詞では使い方が違い、意味も違 うことがありますから、そういう点をしっかり確認しておくべきです。

 第2パラグラフの冒頭にあるfaceを、ほとんどの人が「直面する」と訳していましたが、辞書を引いていれば、この語の意味範囲がかなり広いことに気づ いたはずです。

 その少し後ろにあるtradeはどうでしょう。「貿易」と訳した人が多かったのですが、この語の意味範囲ははるかに広いのです。その証拠に、「貿易」に はinternational tradeという連語を使うのが普通です。この連語は「国際貿易」と訳す場合もありますが、じつのところ「国際」は余分です。日本語の場合、「貿易」は外 国との商取引を意味しますので、「国際」に決まっているからです。英語の場合には、tradeの意味範囲ははるかに広く、取引相手が国内でも国外でも、商 取引全般の意味します。そこで、internationalではないtradeがあるから、外国との間の商取引を意味するときには internationalを付けるのです(tradeにはそれ以外にもさまざまな意味があります)。

 知らない単語や、意味がよく分からない単語があれば、誰でも辞書を引くでしょう。ですが翻訳にあたっては、知っていると思っている単語でも、辞書を繰り 返し何度も引いて、意味の範囲を確認するべきです。引かぬは大馬鹿なのです。

 何度も同じことをいうと思われるかもしれませんが、翻訳にあたっては紙の辞書、それも中辞典ではなく、大辞典を使うべきです。中高生用の中辞典を流用し た電子辞書では翻訳はできません。その点を強調したうえで、補助的に使える中辞典をひとつだけ紹介しておきます。『Eゲイト英和辞典』です。この辞書の特 徴は、重要な単語について「コア・イメージ」を示していることです。中学生のときに学ぶような基本単語は、意味の範囲が広く、思わぬ意味で使われているこ とがあるので厄介なのですが、意味の範囲の全体像を示そうとしているのがこの辞書なのです。だから、大辞典でもわからないことが、この辞書でわかる場合が あります。

 原文にある単語や表現の意味を理解しようとすとき、辞書だけでは解決がつかない場合もあります。英和辞典にあげられている訳語がどれも適切でないことも ありますし、連語の意味がよく分からない場合もあります。そういう場合に役立つのがインターネットです。インターネットにはたとえば以前にも紹介した翻訳訳語辞典(www.dictjuggler.net/)など、便利な辞書もあり ますが、それ以外に、大量の用例を素早く検索できる良さがあります。これを活かさない手はありません。

 英語から日本語への翻訳では、わたしたちは各種の辞書がそろっている状況になれきっています。辞書があまりない状況で翻訳を行うことなど、たぶん、想像 もつかないのではないでしょうか。しかし、世界的にみても、これほど辞書が整備されている例はめったにないとも思えます。たとえば英和ではなく和英の場合 を考えてみると、辞書は極端に少なくなります。仏和や独和では、さらに少ないのが現状です。西日、中日、韓日などではもっと少ないでしょう。なかには、辞 書がまったくない場合すらあるのです。スペイン語の小説を中心に翻訳を行っている知り合いに聞いてみたところ、西日の辞書はまったくといってもいいほど役 立たないそうです。スペイン語の大きな辞書と西英の辞書がある程度役立つだけだといいます。そうした状況を少し想像してみると、以下の点がすぐに理解でき るはずです。

 第1に、訳語は考えるものです。辞書に書いてある訳語のなかから選択するのではなく、考えるものなのです。原文の意味を理解したうえで考えるべきもので す。英和辞典に書かれている訳語は例にすぎません。文脈によっては、まったく使えない場合も少なくないのです。だから、訳語を考える。原文の意味が理解で きれば、何ごとにもとらわることなく、大胆に考えるべきです。

 第2に、単語や表現の意味はいくつものの用例をみて、考えるものです。自分の母語の場合はそうしています。母語で分からない言葉にぶつかったときに辞書 で意味を確認しようとする人はあまりいないはずです(物書きになるには、国語辞典を頻繁に引くべきですが)。何度も同じ言葉にぶつかていくうちに、意味が 分かってくるものです。外国語でもこの点に変わりはありません。

 語や表現の意味がよく分からなかったとき、もっとも優れた資料は、目の前にある原文です。原文のどのような文脈でどのように使われているかをじっとみ る。これが第1歩です。それで見当がついたら、辞書で確認する。これが正しい順序です。それでも分からなければ、同じ原文の別の箇所で、同じ表現や似たよ うな表現が使われていないかを調べる。それでも意味が分からなければ、つぎに、同じ著者の文書や性格がよく似た文書で用例を探す。それでも分からない場合 には、インターネットの検索サイトで、用例を探し、どのような文脈で使われているかをみていきます。こうしていくつかの用例をみていけば、語や表現の意味 はかなり分かってくるものです。辞書は重要だし、便利ですが、それより用例を重視するべきです。とりわけ重要なのが、目の前にある原文であり、つぎに重要 なのが、同じ文書のなかにある用例です。

 以上を前提に、とくに解釈が難しかった部分を個々にみていきましょう。原文のうち問題の箇所をあげ、みなさんの訳のなかから代表的なものや面白かったも のをあげていきます。

第2パラグラフ
例1 government of all kinds
訳例1.1 あらゆる行政機関 (HT)
訳例1.2 各種の政府機関 (OU)
訳例1.3 どの自治体でも (IU)

 翻訳にあたって重要な点のひとつは、原文の語や表現が具体的に何を意味し、それをどう表現しているかを考えることです。この場合なら、 government of all kindsとは具体的に何を指しているのかです。

Q OUさんに質問します。「各種の政府機関」と訳したとき、具体的に何を指していると考えましたか。
A 財務省などの省庁です。
Q その場合、つぎにあるincomeとは具体的に何を指していると考えましたか。
A 予算でしょうか。

 たぶん、財務省などの省庁なら、of all kindsという形容詞句は付かないだろうし、incomeともいわないだろうと思います。では具体的に何を意味しているのかは、目の前にある原文をもっ とよく読み、同じ文書のなかにあるgovernmentの用例をみていけばわかるはずです。ですから、この部分は宿題にしておき、この文書の残り部分を訳 した後にもう一度検討してみましょう。

第4パラグラフ
例2 Plenty is at our doorstep, but a generous use of it languishes in the very sight of the supply.
訳例2.1 豊かさは我々のすぐそばまで来ているのに、供給する者の目の前でその豊かさを気前よく使うことが妨げられてしまう。(ST)
訳例2.2 豊かさは我々のすぐ目の前にあるのである。しかし、我々のところにその豊かさが与えられる目前で、気前よくそれを使うことができなくなるので ある。 (MA)
訳例2.3 豊かさはすぐ目の前にあるのだ。しかし、我々その豊さを目の前にし、それを気前よく消費してしまっている。(AT)

 ここで判断に迷うのは、in the very sight ofの部分でしょう。たぶん、これに似た表現でよくみるのは、in the sight of Godでしょう。「神の目からみれば」といった意味の慣用句として使われています。ですが、ここでsight ofのつぎにあるのはthe supplyですから、似た意味だと考えるのは無理かもしれないとも思えます。もちろん、STさんのようにsupplyを「供給する者」と解釈すれば、 in the sight of Godに近い意味だと考えることもできるわけですが。

 また、sightにveryがついたときにどうなるか、辞書を引いて調べても、答えはでてこないでしょう。このようなときに意味を考える手掛かりになる のは、用例です。そこで、in the very sight ofの用例をインターネットで調べてみます。検索サイトを使うと、600ほどの用例があることが分かります。念のためにin the sight ofの用例数は13万以上ですから、veryがついた用例は極端に少ないことが分かります。用例をひとつずつみていくと、たとえば以下がありました。

Colonel Boudinot, like Moses of old, died in the very sight of the "promised land";
http://www.nps.gov/fosm/historyculture/parker-tribute-to-elias-c-boudinot.htm

 モーセが約束の地を目前にして世を去ったことは、旧約聖書の有名な物語です(「申命記」第34章を参照)。これを読むと、in the very sight ofに「〜を目前にして」といった意味もあることが分かります。MAさんの訳は、そのように解釈した例でしょう。STさんの解釈とMAさんの解釈のうちど ちらを採用すべきかは、各人がじっくりと考えてみるべきでしょう。

例3 the rulers of the exchange of mankind's goods
訳例3.1 人間の財産取引の統治者たち (HA)
訳例3.2 商品の取引を支配する者 (ST)
訳3.3 人類の財産取引の先導者、金融業界 (YY)

 この場合にも、問題は具体的にどのような人を指しているかです。

Q HAさんへの質問です。「人間の財産取引の統治者たち」と訳したとき、具体的にはどのような人だと考えましたか。また、その理由は何ですか。
A 大恐慌とローズベルト大統領の政策についてインターネットで調べると、金融業界の改革を重視したということなので、金融業界の人たちだろうと考えまし た。

 そう考えたのであれば、「統治者たち」という言葉はふさわしくないでしょう。「統治者」とは政治的な支配者を意味する言葉ですから。

 HAさんが使った表現には問題があるわけですが、解釈としてはYYさんと同じです。STさんの解釈は違っていて、商業など、金融以外の業界の企業経営者 だと解釈しているようです。この解釈も十分に成り立ちます。

 以上では、第1〜第4パラグラフのなかで、解釈と表現が難しかった3つの部分について、皆さんの訳のなかから代表的なものを選び、それぞれについて考え ていきました。当初に断ったように、正解は示しません。いくつかの解釈や表現が考えられる場合、そのなかから最適だと思えるものを探し出す作業が翻訳では もっとも大切だからです。

 では、最適なものを探し出す作業をどのように進めていけばいいのか。正直にいうなら、王道はありません。こうすればいいという方法はないのです。いくつ か、ごく一般的な点が指摘できるだけです。

 第1に、正解よりも、疑問を大切にするべきです。たとえば、第2パラグラフのgovernment of all kindsについていうなら、このgovernmentはどういう意味なのだろうという疑問を持ち続けておくことがとても大切です。そうすれば、 governmentの意味を示す用例にぶつかったとき、あるいはこの語の意味を解説する文章を読んだときなどに、「分かった」という感動を味わえるかも しれません。
このときには触れていないが、同じ文書の後半に、以下のセンテンスがある。
 It can be helped by insistence that the Federal, the State, and the local governments act forthwith on the demand that their cost be drastically reduced.
このセンテンスを訳すときにgovernment of all kindsの意味に気付いてほしかったので、意図的にぼかしてある。

 第2に、原文の意味を理解し、理解した意味を日本語で表現するには、2つの世界について、広範囲な知識が必要です。最近、こういう例がありました。経済 学のある先端分野について書かれた翻訳書を書店で見つけました。タイトルや帯の宣伝文句をみるかぎり、面白いだろうと思えたので、立ち読みしようとしまし た。ところが、適当に開いたページの頭に、「株式とフローという観点から経済を分析する」と書かれていたので、仰天しました。原文にはstock and flowと書かれていたはずであり、stockを「株式」と訳しているのです。もちろん、英和辞典のstockの項には、「株式」という訳語もでています (「蓄え」とか「在庫」とかの訳語もあるし、「家畜」や「幹」という訳語もあります)。しかし、stock and flowというときのstockは「株式」ではありえません。「ストックとフロー」というのは、経済に関心をもっている人なら知っているはずの対概念で す。たとえば、「コンピューターのソフトウェアと金物」と書かれている翻訳書があれば、読んでみようとは思わないのではないでしょうか(ちなみに、英和辞 典のhardwareの項には、「金物」という訳語があります)。このstockでは、辞書を引けば文脈に合った訳語がでているのですが、辞書を引くだけ で正しく解釈できるわけではありません。英語の世界について、そのなかでとくに経済の世界について、広範囲な常識を身につけていなければ、とんでもない間 違いを犯すことになりかねないのです。逆に、常識を身につけていれば、辞書を引くまでもなく、この表現の解釈に迷うことなど、まったくないはずです。そし て、日本語の経済の世界の常識を心得ていれば、この表現の訳に困ることはないはずです。広範囲な知識、常識、教養といったものが欠けている場合には、個々 の単語という点ではとくに難しくはない表現でも、理解に苦慮するか、適切な訳文を書くのに苦労することになるはずです。

 訳語の選択というのは、簡単そうにみえて、じつは翻訳でいちばん難しい部分なのかもしれません。簡単そうに思えるのは、英和辞典を引けば、まずどんな単 語でも訳語が書かれているからです。太字で書かれている訳語を使えばいいとまでは思わなくても、いくつか並んでいる訳語のうち、文脈に合っていそうなもの をひとつ選べばいいと思えるはずです。しかし実際には、governmentやsightのように、誰でも知っているはずの語でも、翻訳にあたって苦労す ることがあるのです。そしてstockの例でわかるように、疑問にも感じないと思える単語の訳語で大間違いをすることがあるのです。

 言葉の背後には、世界があります。英語という世界があり、このローズベルトの就任演説の場合には、政治という世界があります。言葉の背後にある世界を理 解しなければ、翻訳はできません。

 翻訳は語学の仕事だといわれています。外国語の能力が何よりも大切な仕事だとみられているわけです。しかし実際には、外国語の能力は翻訳に必要な基礎的 能力のひとつにすぎません。構文を正しく理解できるといった点は、翻訳に当たって大前提だというにすぎないのです。はるかに重要なのは、幅広い知識、常 識、教養です。インターネットの検索サイトをうまく使えば、欠けている知識を一時的に補えるかもしれません。しかし一時的に補えるだけだと思っておくべき です。広範囲な知識、常識、教養を身につけるために、不断の努力が翻訳には不可欠なのです。


原文
INAUGURAL ADDRESS OF FRANKLIN DELANO ROOSEVELT
Given in Washington, D.C.
March 4th, 1933

This is a day of national consecration, and I am certain that on this day my fellow Americans expect that on my induction into the Presidency I will address them with a candor and a decision which the present situation of our people impels. This is preeminently the time to speak the truth, the whole truth, frankly and boldly. Nor need we shrink from honestly facing conditions in our country today. This great Nation will endure as it has endured, will revive and will prosper. So, first of all, let me assert my firm belief that the only thing we have to fear is fear itself―nameless, unreasoning, unjustified terror which paralyzes needed efforts to convert retreat into advance. In every dark hour of our national life a leadership of frankness and of vigor has met with that understanding and support of the people themselves which is essential to victory. And I am convinced that you will again give that support to leadership in these critical days.

In such a spirit on my part and on yours we face our common difficulties. They concern, thank God, only material things. Values have shrunk to fantastic levels; taxes have risen; our ability to pay has fallen; government of all kinds is faced by serious curtailment of income; the means of exchange are frozen in the currents of trade; the withered leaves of industrial enterprise lie on every side; farmers find no markets for their produce; and the savings of many years in thousands of families are gone.

More important, a host of unemployed citizens face the grim problem of existence, and an equally great number toil with little return. Only a foolish optimist can deny the dark realities of the moment.

And yet our distress comes from no failure of substance. We are stricken by no plague of locusts. Compared with the perils which our forefathers conquered because they believed and were not afraid, we have still much to be thankful for. Nature still offers her bounty and human efforts have multiplied it. Plenty is at our doorstep, but a generous use of it languishes in the very sight of the supply. Primarily this is because the rulers of the exchange of mankind’s goods have failed, through their own stubbornness and their own incompetence, have admitted their failure and have abdicated. Practices of the unscrupulous money changers stand indicted in the court of public opinion, rejected by the hearts and minds of men.

(2008年9月号)