翻訳論
勝 貴子

村上 春樹を論じる国際シンポジウム

  桜のほころびはじめた3月最後の週末、東大駒場キャンパスで『春樹をめぐる冒険――世界は村上文学をどう読むか』(国際交流基金主催)とい う国際シンポジウムが開かれました。村上春樹は折しもその直前に、栄誉あるチェコの第6回フランツ・カフカ賞の受賞が決まり、スポーツ報知には「ノーベル 賞王手」とも報道されて、国際作家としての評価もいよいよ揺るぎないものになったようです。
 毎日新聞は、2日にわたって開催されたシンポジウムの第1日目の様子をこう伝えています。

 事前に申し込んだ「ハルキファン」ら600人が、欧米アジア各地での村上作品の読まれ方などに、熱心に耳を傾けた。
 基調講演で米国の作家、リチャード・パワーズ氏は、最近の脳科学の概念を引用しながら、「村上文学は、現実と想像の境界が希薄な現代を描き、国を超えて 読者の心をつかんでいる」と評価した。
 続いて、村上作品を翻訳している米国のジェイ・ルービン氏、韓国の金春美氏、ロシアのドミトリー・コバレーニン氏らがパネルディスカッション。フランス のコリーン・アトラン氏は「村上作品には統一された文体のリズムがあり、西洋言語に近いと感じる」と魅力を分析した。

 村上春樹の作品は今や30を超える言語に翻訳されているそうですが、シンポジウムには、アメリカの訳者ジェイ・ルービン氏、アルフレッド・バーンバウム 氏をはじめ、ドイツ、ブラジル、チェコ、ポーランド、ロシア、台湾、香港、さらにはインドネシア、デンマーク、ノルウェーなど、世界16カ国から翻訳者た ちが集まり、村上文学へのそれぞれの思いや翻訳の工夫を(ほとんどの人が流ちょうな日本語で!)語ってくれました。
 私にはハルキストを名乗る資格はないので、村上ワールドに対する世界の感想はいずれ発表される報告に委ねることにして、翻訳論のワークショップで印象に 残った話のいくつかをご紹介したいと思います。(詳細に関心のある方は、リチャード・パワーズの基調講演はそのロングバージョンが来月号の『新潮』に、両 日のワークショップについては、『文学界』に取材記事が載るそうです。)掌篇の『スパナ』と『夜のくもざる』を各国語でどのように訳すかが論じられた内容 でしたが、当日のメモに頼っているので、聞き違いや思い違いなどがありましたらどうかご容赦ください。

広東語 → 白色日産Skyline (日本語のカタカナ語をアルファベット表記に)
北京語 → NISSAN Skyline的(ニッサンを大文字表記で区別)
インドネシア語、チェコ語、ノルウェー語、デンマーク語 → そのままNissan Skylineに

 ここで案内人の柴田元幸氏が42nd Streetなどを例に挙げ、アメリカの英語では数字〔この場合G35〕が固有名詞化される傾向があるように見えることを指摘。車種が出てきたときなど は、どんな車かが具体的にわかるようにしたほうがいいのか、もとの名前の雰囲気を伝えるために日本の車ということでそのまま日本語名を残したほうがいいの かについて、意見が交わされた。村上作品ではいろいろな場面で車が効果的に使われているということだが、訳注をつけるのは(出版社も嫌がるため)できるだ け避けたいという意見や、固有名詞の “atmosphere” を伝えることが大切と思うが、たとえばヤクザが乗っている車などは具体的なイメージがわかった方がいい(ノルウェーの訳者の意見)、日本車の名前は英語の 感覚では違和感がある(「フェアレディ」などは、マイフェアレディを連想させる――これはアメリカの訳者)などの意見があった。結局、「翻訳に正しい答え はない、その場に応じて判断する」というところに落ち着いたが、ハンガリーの訳者が最後に述べていた「車種といっても、10年もすれば誰にもわからなくな りますよね」というコメントが可笑しかった。ごもっとも。

「違うぞ、今のは平かなで言ったんだ」
「違うぞ、今のは比良かなで言ったんだ」
「字が違ってるじゃないか」
「時が違ってるじゃないか」
 それぞれの訳者の考え方は、
“Det var ikke det jeg sa!” 〔det は「それ」〕と “Det var ikke D jeg sa!” 〔It wasn’t D what I said!” 〕
“Ikke D, det!” 〔Not D, that!〕 と “Ikke det, D.” 〔Not that, D.〕と表現を変えて工夫。
“Det var forkert. Jeg talte med STORE bogsatever” と “DET VAR FORKERT. JEG TALTE MED store BOGSTAVER” を並べ、文全体の大文字、小文字表記を対比させる方法で対応。〔It’s wrong. I said it with BIG letter という意味。〕
「へっぽくらくらしまんがとてむや、くりにかますときみはこる、ぱこぱこ」と私は言っ た。

という箇所もある。こういうところをどうするかについては、中国語(広東語、北京語) の訳者はここはもとの文の音に近い漢字を当てて同じように意味不明の文章にすると述べ、インドネシア語も音のとおりにアルファベットに移し替えるというこ とだった。デンマーク語の訳者は自国語の音調で意味不明の寿限無のような文にし、ノルウェー語でもそれと同じ考え方で、リズム感のある表現を工夫してい た。ハンガリーの翻訳者は、ここは母国語の早口言葉に置き換えてみたと言っていた。

 ほかにもいろいろな意見やコメントがあった中で、一部分しかご紹介できないのが残念ですが、言語に応じた苦労があることが具体例を通じてよくわかった ワークショップでした。翻訳のさまざまな側面を論じるにはあまりに短かった会期が惜しまれます。ハンガリーの訳者は、「翻訳者は裏切り者と言われますが、 『夜のくもざる』をあえて『くもざるの夜』に変えてしまった私などは、犯罪人です。ですから、皆さん、若いうちには翻訳はやめておいたほうがいいですよ」 とまじめなのかそうでないのかよく分からない顔つきで述べておられましたが、今回集まっていた翻訳者の全員に、それと同じ気概と自負心が感じられました。 ノーベル賞を受賞した川端康成の影にはサイデンステッカーの名訳があったとすれば、今日の村上春樹はこれほど大勢の熱意にあふれた世界中の翻訳者に支えら れているのです。わずか40年ほどの間に、言語を隔てる壁はここまで薄くなっていることを教えられたシンポジウムでもありました。
 地球の各地で日本語に取り組む翻訳者には、辞書や資料、情報ルートのごく限られた、厳しい条件を強いられている人も多いと想像されます。対象の母語が日 本語とは大きく異なり、逐語訳的な緻密な対応はどだい無理という言語もあるはずです。それでも、どんな悪条件に阻まれていようと、翻訳は「できる」という ことを、翻訳者の皆さんは証明してみせてくれたのでした。翻訳理論やテクニックといった理屈を吹き飛ばすような、あらゆる手を尽くして目の前の原文を母語 に置き換えて意味を伝える実践のあり方、翻訳の原点を学ぶことのできたワークショップでした。

2006年4月号