私的ミステリ通 信 (第4回) 
仁木 めぐみ

エリザベス・ジョージ

  『ビバリーヒルズ高校白書』『ER』など長寿の海外ドラマはたくさんあります。見ていると、回数を重ねる上で仕方がないのかもしれません が、面白いほど登場人物の関係がだんだん複雑になっていくことが多いようです。たとえば女性Aが男性Bとつきあっていて、別れたあと男性Cとつきあい、一 方のBは女性Dとつきあいかけたが結局女性Eとつきあい、EはCと交際していた過去を持ち、しかもこの5人全員が友達である・・・・・・。そこにさらに登 場人物それぞれの家庭環境やら、かなりつらい過去やらが絡んできて、非常にドロドロした人間関係になっているのに、ドラマ自体は妙にさわやかで、登場人物 たちもジョーク交じりに明るく友達づきあいを続けていく・・・・・・。
 日本のドラマでも世間が狭いというか、二重三重にこみいった関係になっているものもありますが、海外ドラマ(主にアメリカのものですね)の方が、「あっ けらかん度」が強い気がします。お国柄なのかな、と思っていたのですが、ふと、エリザベス・ジョージのリンリー・シリーズにも当てはまることだなと思い至 りました。

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 エリザベス・ジョージはオハイオ州出身の女性作家で、アメリカ人ですが、イギリスを舞台にした本格ミステリを書いています。
 同じように外国人でありながらイギリスを舞台に書いたミステリ作家はたくさんいて、たとえば大御所ジョン・ディクスン・カーはアメリカ出身(のちにイギ リスに帰化しました)ですし、黄金期のイギリス四大女流作家の一人ナイオ・マーシュはニュージーランド人です。また現代でもポーラ・ゴズリングやマーサ・ グライムズなどたくさんの名前が挙げられます。
 マーサ・グライムズのように、本物のイギリス人の読者から「こんなのはイギリスじゃない!」という批判を受けてしまう作家も多いのですが、それでもミス テリの総本山イギリスという舞台は各国のミステリ作家にとって魅力的なようです。
 そしてこれは私見ですが、イギリス人に評判が良かろうと悪かろうと、「非イギリス人」が書いたミステリにはイギリス好きで「非イギリス人」の読者とって たまらない魅力があると思います。なぜなら当のイギリス人たちは自分たちの国の何が外国人を惹きつけるのか今ひとつわかっていないからです! 非イギリス 人作家の方がそのへんのサービス精神が旺盛なのか、イギリスらしさのエッセンスというか、魅力のぎゅっと詰まったところを書きたいと思うあまり、リアリ ティのないほど過度に「イギリス的」な世界を作り上げてしまうのだと思います。それは外国人が日本をいまだにゲイシャ・ガールの国だと誤解しているのと同 じことなのかもしれませんが、イギリスに憧れる外国人にとっては大きな魅力なのです。
 エリザベス・ジョージはそんな「非イギリス人」作家の中では、イギリス人に評判の良い作家です。主人公であるロンドン警視庁の警部トマス・リンリーが第 8代アシャートン伯(つまり伯爵なのです!)で、イートン校出身の青い目の美男子で、ロンドンのベルグレイヴィア(いかにもという高級住宅街です)の執事 付きの屋敷で暮らしていたりと、イギリス人作家なら絶対しないような設定はご愛嬌ですが、緻密な調査に基づく重厚な作風はP・D・ジェイムズやルース・レ ンデルと比較され、ドロシー・セイヤーズ(以上三人ともイギリス人)の後継者とまで言われています。

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 リンリー・シリーズのレギュラー・メンバーは5人います。まず先ほどご紹介したリンリー警部。それからリンリーのイートン校時代からの友人で鑑識の専門 家サイモン・オールコート=セント・ジェイムズとその使用人の娘で写真家のデボラ・コッター。リンリーと同じく貴族の血を引き、セント・ジェイムズの助手 でもあるレディ・ヘレン。そしてもう一人、リンリーの部下で他の4人とは全く違う労働者階級出身の女性刑事バーバラ・ハヴァース。
 ざっと説明しただけでもかなり密な人間関係を感じさせるのですが、さらにバーバラ以外のいわゆる上流階級チーム(デボラは使用人の娘なので平民ですが、 セント・ジェイムズの家で生まれ育ったので上流社会の生活に慣れています)の4人には、錯綜した人間関係が展開していくのです。
 まずセント・ジェイムズとデボラは同じ家で育ち、互いに愛情と深い絆を感じています。ところがリンリーが運転していた車が事故を起こし、同乗していたセ ント・ジェイムズが負傷し、脚に一生残る重大な障害を負ってしまいます。脚が不自由になったセント・ジェイムズは(年齢が離れていたこともあり)、デボラ に気後れし、遠ざかり始めます。悩んだデボラは写真の勉強のためにアメリカに渡り、アメリカまで訪ねて来たリンリーと交際を始め、ついには婚約してしまっ たのでした。一方、リンリーとも長年の友人であるレディ・へレンはセント・ジェイムズに想いを寄せたものの拒絶され、その後さまざまな男性との不安定な短 い関係を渡り歩いています・・・・・・。
 以上が時系列的に一番最初になる作品(発表順では第4作)『ふさわしき復讐』(嵯峨静江訳・ハヤカワミステリ文庫)が始まる時点での4人の関係です。こ こまででもすでに頭が痛くなるほどの泥沼な人間関係ですが(普通、この状況では今後友情も愛情も成立しなくなってしまうでしょう)、ここからこの4人はシ リーズが進むごとにさらにもつれていくのです。
 これからこのシリーズをお読みになる方の興味をそいでしまわない程度にお話すると、まずデボラとセント・ジェイムズが長年の行き違いを乗り越えてお互い の愛情を確認しあいます(つまりリンリーはふられる)。ふられたリンリーはデボラを忘れることができず苦しみますが、レディ・へレンに慰められ、痛手を乗 り越え、レディ・へレンとの未来を考えるようになるのです。
 こんなドロドロな状況なのに、なぜかこの4人は今まで築いてきた信頼関係を失いません。男性同士、女性同士は友情を失いませんし、かつて愛し合った男女 も互いに対する優しさを失いません。過去は時に重くのしかかってきますが、誰かを憎んでいる人が一人もいないのです。事件の現場で出くわすだけではなく、 プライベートでもよく会うわけですが、ぎこちなくなることはあるものの、全体にいつも明るくジョークを言い合い、関係自体が壊れてしまうことはないので す。
 そして毎回ラストでは、先への希望を暗示して終わるので読後感は悪くないのです。

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 私はジョージのミステリをひと言で表わすと「容赦をしない」ということだと思います。「徹底的」でも良いでしょう。1988年の第1作『そしてボビーは 死んだ』(小菅正夫訳・新潮文庫/『大いなる救い』吉澤康子訳・ハヤカワミステリ文庫)以来、今年7月に発表された第12作A Place of Hidingにいたるまで、その作品の長さはどんどん長くなっています。それはジョージの完璧主義というか、容赦のなさがさらに進んでいるからだと思いま す。
 ジョージが突きつけてくるストーリーはいつもかなり苛烈です。事件の発生と共に提示される関係者の状況はかなり極限状態で、リンリーがたどりつく真相は さらに過酷です。登場する人物の一人一人が、たとえば目撃者のような端役まで、はっきりとしたキャラクター設定をされ、内心まで丹念に書き込まれていま す。そしてその人物たちはみな往々にして何かが過剰である場合が多いのです。それは愛情であったり、正義感であったり、何かの信念であったり、本来人間を 不幸にするものではなく、むしろ正しい方向へ導くはずのものが、それにあまりにこだわりすぎたために、たとえようもなく大きな悲劇を生んでしまうのです。
 メインとなるストーリーのほかに必ずいくつかの脇筋があるのですが、ジョージは絶対にどれかをおろそかにしたり、忘れてしまうことがありません。ラスト までにすべての筋に何らかの結末を与え、それを読者に提示してくれるので、消化不良な感じが残りません。また、非常に陰鬱な悲劇を描いていても、結末では 必ず何らかの光が見えるように書いています。だから読者は最後のページで「ふーっ」と肩で息をつくことができるのです。
 「容赦しない」というのは出てくる人物の性格だけでなく、残酷なほどの描写のことでもあります。最初から最後までその筆力で押しまくるパワーには圧倒さ れるのひと言につきます。
 英米では新作が出るごとに必ずベスト・セラー・リストにのる人気ぶりなのですが、第8作の『消された子供』(天野淑子訳・ハヤカワミステリ文庫)以降邦 訳が出ていないのは残念なことです。リンリーらシリーズ・キャラクターたちの動向もその後の4作で大きく動いていますから、翻訳が待たれます。

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 私事で恐縮ですが、私は初めてジョージのミステリを読んだとき、頭を殴られたような衝撃を受けました。
たしか『ふさわしき復讐』だったと思います。いったいこのパワフルさは何なんだろう・・・・・・。とにもかくにも圧倒された私は、まずその当時邦訳が出て いた作品を立て続けに読みました。どの作品もどの作品も強烈で、目をそむけたくなるほどの悲劇に満ちていました。読みながら私はどうして自分がこんなにつ らい話ばかりを読んでいるのか不思議でした。これでもかこれでもかと迫ってくる逃げ道のない運命を、どうしてこんなに夢中になって読んでいるのだろうと。 しかも読んでいる間は休むことができず、長い作品ばかりなので本当に困りました。これは麻薬だ―本当にそう思いました。
 でもそのうちに私は一つの答えに思い至りました。ジョージが描く世界はあまりに陰惨です。読んでいて苦しくなるほどに・・・・・・。おそらく私はその苦 しさを早く解消したくて、ジョージが与えてくれるなんらかの結末を読んで終わりにしたくて、むさぼるように先を急いで読んでいたのです。脇筋をふくめて自 分が提示したものには必ずきっちりと責任を取るジョージですから、肩すかしを食うことは絶対にありません。それがどんなに過酷な結末であっても、真正面か らドーンとぶつかって結果を出してくれるというのはすっきりするものです。それがジョージ的カタルシスの魅力なのでしょう。

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 総論はこれくらいにしていくつか個々の作品を紹介しましょう。まずはアンソニー賞など各賞を受賞したデビュー作『そしてボビーは死んだ』です。ヨーク地 方のある農場で農場主の首を切断された死体が発見されます。死体の脇には被害者の娘が放心状態で坐っていて、「私が、やった」と呟いていました。この娘が 犯人とは思えない地元の警察は、ロンドン警視庁に応援を頼みます。そこで派遣されるのがリンリー警部と、新しくチームと組んだ女性刑事バーバラ・ハヴァー スです。バーバラは三十代の独身女性で、男社会のロンドン警視庁で周囲とぶつかってばかりいましたが、とうとう最悪の上司、貴族出のにやけたプレイボーイ (と、バーバラは思っている)リンリーと組まされて絶望し、ことあるごとにリンリーに反発します。
 事件の方は自分の農場から出ることさえほとんどなかった、非常に信心深い被害者の家庭の秘密がしだいにあきらかになっていきます。十代で結婚し、二十代 で二人の娘をおいて出て行った妻。謎の失踪をした長女。そして病的なほど太り、口をきけなくなっている次女。被害者の家から消えた女性たちを探し当て、錯 乱している次女に長女を対面させた時、真相はあきらかになるのですが、その真相はあまりにも忌まわしく、衝撃的なものでした・・・・・・。
 リンリーをとりかこむ上流社会の華やかで洗練された生活と、不器用で怒りっぽく、庶民そのもののバーバラの生活がとても対照的です。バーバラがリンリー に反感を持ち、リンリーがそれにとまどう様子もよく描かれています。そして事件の異常さが見えてくるのと平行して、デボラへの未練を断ち切れないリンリー の苦悩と、バーバラの家族をめぐるあまりに痛ましい過去もうかびあがってきます。そして結末でリンリーが見せた意外なほどの包容力が全編を救っているとだ け申し上げておきましょう。

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 第5作『エレナのために』はいろいろな意味でジョージらしい作品といえます。ケンブリッジ大学の娘エレナがある日惨殺体となって発見されるところから事 件は始まります。リンリーとバーバラが捜査をすすめていくと、聴覚の障害を持ちながらも、成績優秀な上に美しいエレナは多くの男性に人気があったことがわ かります。エレナと交際のあった男性教官に容疑がかかりますが、そこで別の女子学生が殺されて・・・・・・。
 作品全体を通じて被害者エレナの存在感が他のすべてを圧倒しています。若く美しく積極的で強靭で、驚くほどに利己的で、その存在ゆえに周囲の人々が壊れ ていくのです。『エレナのために』(原題はFor the Shake of Elena)という題名そのままに、殺人事件も含めた全体がエレナへの人々の執着、そしてエレナの自分自身への執着が起こした避けられない悲劇なのです。

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 次に未訳作品ですが、第9作Deception On His Mindは、エセックスのパキスタン人の移民社会の中で起きた殺人を描いたミステリですが、独特の慣習や、イギリス人住民との衝突などが綿密な取材の上で 細かく書き込まれています。殺人の動機も方法も、パキスタン人社会でしかありえないものです。そしてもちろん「ジョージ的」な強烈な個性とパワーを持った 人物が次々と登場します。閉ざされた家庭内で展開される犯人の狂った論理というのは、東洋的であると同時に、ジョージのお家芸であるとあらためて実感する 1冊です。
 リンリーはレディ・へレンとの長年の愛を実らせて新婚旅行中なので、この作品ではバーバラが独力で捜査をします。バーバラに時ならぬ恋の予感が訪れると ころも見逃せません。

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 次はIn Pursuit Of the Proper Sinner。こちらはダービシャーの片田舎のストーン・サークルで若い男女の虐殺死体が見つかることから事件は始まります。被害者のうち女性の方はニコ ラという娘なのですが、その父親アンディ・メイデンは若き日のリンリーの上司でした。アンディに呼ばれ、捜査を始めたリンリーの前に、ニコラの意外な素顔 が浮かび上がってきます。ロンドンでロー・スクールに通っているはずが、友人とチームを組んで売春をし、それを恥じる様子もない女性でした。ニコラではな く一緒に死んでいた男性テリーの線を追っていたバーバラはやがて亡くなった作曲家の自筆の楽譜に行き当たり・・・・・・。
 かつての上司にこだわるリンリーとそれに反発するバーバラ。アンディの下にいた頃、おとり捜査に失敗した苦い記憶がリンリーをよけいかたくなにします。 そして最後に真相はあきらかになり、もう一つの悲劇が起こるのをリンリーは止められませんでした。
 この作品でも奔放で強靭な女性、ニコラが印象的です。先ほどご紹介した『エレナのために』のエレナに近い人物ですが、エレナよりもさらに功利的です。エ レナにはそういう性格に育つ必然性のようなものが感じられますが、ニコラの場合、ごく普通に育ってきた女性なので、その分さらに空恐ろしく感じられます。
 バーバラとの和解と苦い結末を通して、自身を反省するリンリーの姿が胸に残ります。

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 第11作A Traitor to Memoryでは、リンリーの妻ヘレンが懐妊します。大喜びする一方でリンリーは、つわりで気分が変わりがちなヘレンに戸惑い、流産を繰り返しているデボ ラにこのことをどう告げようかと悩みます。
 事件の方はひき逃げ事件です。被害者ユージーンは20年前の幼女殺害事件の被害者ソニアの母親でした。リンリーは今回のひき逃げにも20年前の事件が関 連しているとみます。
 ダウン症のソニアは子守の女性に殺害されたとして事件は片付いていました。ユージーンは事件後離婚しています。ソニアの兄ギデオンは父親リチャードの許 に残り、子供の頃から天才バイオリニストとして活躍していましたが、最近コンサート中に突然弾けなくなり、その後全く演奏できなくなっていました。リ チャードはギデオンが幼い頃から息子の音楽の才能にすべてを賭けていたのです。
 捜査を進めるうちにユージーンがリンリーの上司で、この事件をリンリーに任せたウェヴァリーとかつて交際していたことがわかります。ウェヴァリーは、自 分の名誉を守ってくれるだろうと期待してリンリーを指名したのでした。
 複数の被害者が錯綜する中、今度はウェヴァリーがひき逃げされてしまいます。やがてリンリーとバーバラがたどりついた真実はまたもや痛ましいものでし た・・・・・・。
 相変わらず力強いエネルギーを感じる作品ですが、初期よりも円熟していて、全体の構成が整っている気がします。しかし数多くの登場人物がそれぞれの過去 やそれぞれの意志(それもかなり強い意志)を持ち、錯綜した人間関係を作っている状況を容赦なく描き出して行く筆致は健在です。異常なほどの信念と恐ろし いほどの冷酷さをあわせもつリチャードがこの作品で最も「ジョージ的」な人物かもしれません。

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 ジョージの最新刊は今年の7月に発表されたA Place of Hidingです。こちらでは久々にセント・ジェイムズとデボラが活躍します。舞台はイギリス海峡の孤島です。シリーズ・キャラクターたちの今後にも目が 離せません。

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 エリザベス・ジョージの作品リストを翻訳通信のサイトに掲載しました。URLは以下の通りです。
http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/my/dt/eg.html