翻訳の道具
山岡洋一

翻訳訳語辞典と可能性

 
「辞書を買うために翻訳し、買った辞書を使うために翻訳をすれば、本当のプロになれる」と、名著『ミニマル・トランスレーション』で小澤勉は論じている。 辞書は「金で買える実力」だともいう。そう考えたとき、英和や英英、国語などの辞書がいかにありがたいかが実感できるはずだ。それに、翻訳者にとって辞書 は毎日、何十回も使うものなので、何万円もする辞書であっても、じつに安いとも実感できるはずだ。

 辞書はありがたいが、毎日使っていると、限界や問題点もみえてくる。とくに英和辞典は、英和の翻訳者にとってなくてはならないものなので、限界がみえて くれば、不満も大きくなる。翻訳にほんとうに役立つ辞書ができないものかと、考えるようにもなる。

 そうして作りはじめた辞書のひとつが、「翻訳訳語辞典」である。武舎広幸氏が開発したサイト、DictJuggler.net (http://www.dictjuggler.net/)で公開している。以下ではこの辞書を作成した理由と、拡張の可能性についてふれてい きたい。

「わたしの洞察」という訳
 翻訳書を読んでいて、「以上のわたしの洞察に基づけば……」といった表現にぶつかったことがある。原文がどうなっていたかは、調べてみるまでもない。原 文でinsightという言葉が使われていたのだ。試みに『リーダーズ英和辞典』を引くと、insightの項には、「洞察(力),眼識< into>;[心]自己洞察;[精神医]病識」と書かれおり、その後にいくつかの用例がある。これをみても、「insight=洞察」というのが常 識になっていることが分かる。

 何の問題があるのかと思われるかもしれないが、国語辞典で「洞察」の意味を調べてみるだけで、何かがおかしいことが分かるはずだ。たとえば、『新明解国 語辞典』の「洞察」の項には、「普通の人が見抜けない点までを、直観やすぐれた観察力で見抜くこと」と書かれている。「洞察」が他人に対する褒め言葉とし て使う語であることが、この語釈から分かるはずである。これに対してinsightは、たしかに褒め言葉として使う場合もあるが、もっと中立的な意味でも 使われる言葉なのだ。だから、「以上のわたしの洞察に基づけば……」といった馬鹿げた訳になることもある。

  この小さな例から、翻訳にあたって既存の英和辞典の訳語に頼るのがいかに危険かを論じることもできる。訳者はおそらくinsightの訳語としてしか、 「洞察」という言葉を知らない。日常の会話のなかで、あるいは、日本語で書かれた文章で、この語にぶつかったことがない。少なくともこの語の意味や用法を じっくり考えたことはない。だから、自分が使いこなせる語彙にはなっていない。そういう言葉を、英和辞典に書かれている訳語だからという理由で使うのは、 翻訳者として賢明だとはいえない。

意味と訳語は違う
 以上の例で、英和辞典のinsightの項と、国語辞典の「洞察」の項を引用したが、この2つで性格が違うことに気づかれただろうか。国語辞典が語義、 つまり語の「意味」を示そうとしているのに対して、英和辞典は「訳語」を示しているのだ。

 国語辞典の記述の仕方も、英和辞典の記述の仕方も、常識になっている。誰でも、国語辞典というのはこういうものだと思っているし、英和辞典というのはこ ういうものだと思っている。たとえば、国語辞典の「洞察」の項を引いたときに、「明察、透察、賢察、高察」と書かれていたとすれば、これでは国語辞典では なく、類語辞典ではないかと思うはずだ。英和辞典でinsightの項を引いたときに、「物事の本質についての理解、とくに直観的な理解」と書かれていた とすれば、変わった辞書だと思うはずだ。

 もっと幅広く、辞書がどういうもので、辞書を引くときに何を期待しているかを考えてみよう。百科事典でも、新語辞典でも、コンピューター用語辞典でも、 漢和辞典でもいい。たいていの辞書は読むためにはできていない。よく分からない語に出会ったときに、意味を調べるためにできている。だから、たいていの辞 書には、それぞれの項に、語の意味を説明する簡潔な文章が書かれている。

 これが常識だから、英和辞典は性格が違うことはなかなか理解できない。英和辞典に書かれているのは意味ではなく、訳語にすぎないことは、なかなか理解で きないのだ。英和辞典と銘打っている辞書のほとんどは、じつは英和訳語辞典なのだが、この点を意識するのは容易ではない。容易でないのは、辞書というもの に権威があるからでもある。だが、この点を認識することが、翻訳にあたって決定的に重要だ。

 英和辞典に書かれているのは訳語にすぎない。それも、せいぜいのところ、代表的な訳語にすぎない。文脈によっては使えることもあるが、使えない場合も少 なくないし、「わたしの洞察」のように、笑うしかない訳文になることもある。英語の単語や連語の訳語ではなく意味を理解すれば、はるかに自由に訳文を書く ことができる。

理想の英和辞典は
 そのような点を考えれば、権威あるとされている英和辞典が、じつのところ、かなり危ういものであることが分かるはずだ。「辞書は引いても信じるな」とい う言葉があるほどなのだ。本来なら意味を示すはずの英和辞典は、じつは訳語を並べているにすぎない。だったら、理想の英和辞典はどうであるべきなのか。

 実現の可能性を無視して理想を述べるなら、第1に、訳語ではなく、意味を示してほしいと思う。たとえばinsightであれば、前述のように、「物事の 本質についての理解、とくに直観的な理解」といった記述が欲しい。第2に、語がどのように使われるかを、豊富な例で示してほしい。勝俣銓吉郎が『新英和活 用大辞典』で示したように、語が他の語と結びついた塊(チャンク)として使われる様を示してほしい。そして、少なくともセンテンスの単位で用例を集めて、 文脈が想像できるようにしてほしい。

 以上の2点は、じつのところ、実現するのがそれほど難しいわけではない。何人かのしっかりした翻訳者のチームで英英辞典を翻訳すればいいのだから、技術 的な難しさはそれほどない。しかし、まず翻訳権を取得しなければならない。そして、翻訳には時間がかかる。どちらの点でもかなりの資金が必要になる。それ だけの資金を誰が負担するのかを考えると、実現可能性は低いといわざるをえない。

 だが、資金面の問題が解決して、大英英辞典をそのまま翻訳するという形の辞書ができたとしても、理想の辞書にはならないと思う。なぜかというと、英英辞 典にも限界があるからだ。最大の限界は、英語という世界のなかで、個々の単語がどのような意味をもつかを示すにすぎない点である。日本語という観点から英 語の言葉や表現がどうみえるか、どのような点に注意すべきかは、英英辞典の性格を考えれば当然ながら、まったく触れられていない。

 日本語という観点にたつなら、たとえばwaterという語の意味は、「無色透明の液体で、雨として空から降ってくるもの」といった語義ではとらえきれな い。日本語の話者にとって重要な点はたぶん、waterと「水」とで意味が重なる部分と重ならない部分があることである。よく知られているように、日本の 「水」は冷たいものであり、沸騰すると「水」ではなくなって「湯」になるが、英語では沸騰してもwaterである。このような意味範囲のズレはほとんどの 語にある。面白いのは(そして厄介なのは)、英語の語を語源とするカタカナの語にたいてい、語源になった語と意味範囲のズレがかなりあることだ。たとえ ば、日本語の「ドライブする」と英語のdriveの意味範囲にかなりのズレがあることは、どのような場合にそれぞれの語を使うかを考えてみれば、すぐに分 かるはずだ。

 こうした点を示そうとすると、英英辞典にあげられている語義や用例がいかに不十分かも分かるはずである。前述のinsightでいえば、英英辞典にあげ られている語義や用例はたいてい、あまり役に立たない。たとえば以下のような用例があれば、「洞察」との意味のズレが理解するうえで、少しは役立つはず だ。

When we know who spoke against you, we will have some insight into the limitations on the government's information.
The Burden of Proof, Scott Turow, Penguin Books, p. 45
だれがきみに不利なことをしゃべったか、それがわかれば、政府側の持っている情報の限界をある程度まで見通すことができる。
トゥロー著上田公子訳『立証責任』文藝春秋 1巻 63ページ

 このような用例は、日本語から英語をみたときにどうみえるかという観点で探していくしかない。だが、優れた用例を探すのは、時間がかかる大変な仕事だ。

 このように考えていくと、理想の英和辞典の実現ががいかに困難かが分かる。理想の英和辞典を目指して一歩を踏み出した例がないわけではない。たとえば、 田中茂範を代表編者として編纂された『Eゲイト英和辞典』がある。主要な語で「コア」を表示し、とくに重要な語では「コア・イメージ」のイラストで意味を 示している。だが、中高校生用の中辞典であることによるスペースの限界がある点が一因になって、そしておそらくはそれ以上に執筆者と時間の不足という問題 があって、小さな一歩を踏み出したにすぎないという印象を受ける。ごく普通の英和中辞典に、新機軸を少しくわえただけだと思えるのだ。たとえば、この辞書 でinsightの項を引くと、ごく普通の訳語が並んでいて、いくつかの用例があるにすぎない。この辞書をみていくと、ほんとうに優れた辞書を編纂するの がいかに困難かが痛感できるように思える。よほどの資金を使って、大がかりな組織を作らなければ、理想の英和辞典に近づくことはできないのだろう。

辞書にない訳語の辞書
 理想の英和辞典が無理なら、次善の策を考えるしかない。そういう観点から少しずつ作りはじめたのが、翻訳訳語辞典だ。語や表現の意味を考えていくには用 例が大量になければならない。たとえば、英英辞典の最高峰とされるOEDは、ボランティアが収集した600万の用例を基礎に編纂されたという。600万は 無理でも、数万程度の用例なら集められるかもしれない。そう考えて、用例を集めはじめた。

 現時点で、このデータベースは以下の規模になっている。

用例数                      約96,000

英和
見出し語数                約 23,000
訳語数(重複を含む)    約280,000

和英(英和の逆引き)
見出し語数                約 65,000
訳語数(重複を含む)    約140,000

 用例収集にあたって基準にした点がいくつかある。

 第1に、優れた翻訳家が訳した訳書とその原著のなかから用例を探す。英和辞典の場合、優れた用例を集めるだけでは意味がない。用例につけた訳も優れてい なければならない。そう考えると、優れた翻訳家が訳した訳書とその原著から用例を探すのが最善の方法だと思えた。

 第2に、英和辞典にない訳語が使われている用例を集める。前述のように、英和辞典というからには、日本語の観点から英語の語や表現がどうみえるかを示さ なければ意味がない。その際にヒントになるのは、英語の語や表現の常識的な訳では表現しきれない用例である。優れた翻訳者なら、そういう部分にぶつかった とき、英和辞典に書かれている訳語ではなく、原文の意味を伝えられる訳語を使うはずだ。だから、英和辞典にない訳語が使われている用例を集めれば、日本語 の観点から英語の語や表現の意味を考えるヒントが得られる可能性が高い。

 この2つの基準に基づいて用例を集めていったとき、思わぬ副産物があることに気づいた。

 第1に、DictJuggler.netの翻訳訳語辞典で、たとえばinsightの項を引いていただければ分かるはずだが、優れた翻訳家がじつにさま ざまな訳語や表現を使っている。「ひらめき」「意見」「指摘」「発見」「考察」などである。これらの訳語と活用をみていくだけで、insightという語 の意味がかなりよく分かるし、翻訳で困ったときのヒントになる。大量のデータベースのうち、活用とその訳の部分だけで、役立つ辞書になることが分かったの だ。翻訳訳語辞典を公開したのは、そのような観点からである。

 第2に、用例収集の過程がじつに面白く、役立つことが分かった。データべースの作成にあたっては、何人かの翻訳学習者に用例収集を依頼したが、そのなか から優れた翻訳者になる人がでてきたのである。これは、ある意味で当然のことである。どのような分野でも、一流のものをしっかり観察することが学習の基本 になる。翻訳学習なら、一流の翻訳とその原著を比較対照しながらじっくりと読んでいくことが、基本になる。用例収集の作業は一流の翻訳とその原著を細かく みていくので、まさに、そのような過程になる。

翻訳訳語辞典の拡張の方向
 データベースの作成という作業は時間と費用がかかるので、個人の力でできることには限度がある。現在は用例収集は事実上止まっている。だが、以上のよう に、英和辞典にない訳語が使われている用例の収集には思わぬ効果があることが分かったので、拡張の方法も考えている。

 一時期、翻訳の研究と教育を行う組織を作ろうという話があったとき、その組織の活動のひとつとして、翻訳訳語辞典を拡張して大がかりなデータベースを作 成しようと考えていた。教育効果があることは実証済みだし、何年か続ければ、教材や資料として役立つうえ、理想の英和辞典を編纂する際の基礎資料になる データベースが蓄積されていくからだ。翻訳の研究と教育を行う組織にぴったりのプロジェクトになると思えた。

 そのときに考えた拡張計画はかなり大がかりだ。大筋だけを記していけば、以下のようになる。

(1) 優れた翻訳家の訳書とその原著をスキャナーで画像ファイルにする。
(2) OCRソフトを使って、画像ファイルを文字情報に変換し、全文データベースを作る。
(3) 訳書と原著の全文データベースのそれぞれにパラグラフ番号を付けてリンクし、英和全文データベースを作成する。
(4) 英和全文データベースから、英和辞典にない訳語が使われている用例を抽出し、用例データベースを作成する。
(5) 用例データベースから、活用と訳語を抽出し、翻訳訳語データベースを作成する。
(6) この5種類のデータをリンクし、相互に参照できるようにする。

 このようにすれば、たとえば、OCRソフトの読み違いはそれほど気にしなくてもよくなる。(3)の用例データベースに抽出した部分だけをチェックし、間 違いを修正しておけばいい。

 このうち、公開する部分は(5)の翻訳訳語データベースだけである。その他のデータベースは非公開の内部資料であり、教材の作成や辞書の編纂に利用す る。検索ソフトをうまく使えば、(3)の英和全文データベースをさまざまな形で利用できるはずである。ちなみに、(3)で構想したものに似た英和のパラレ ル・コーパスがいくつか公開されている。たとえば以下にある。これを大がかりにし、名訳だけを対象にすると考えていただければ、(3)がどのようなもの か、想像していただけるだろう。
http://www.kotonoba.net/~snj/cgi-bin/text-search/text-search.cgi

 残念なことに、この壮大な計画は実現しなかった。組織を設立する計画が結局、頓挫してしまったからである。

 DictJuggler.net (http://www.dictjuggler.net/)は広告収入が入る仕組みになっているので、アクセス数が飛躍的に増えれば、そして、 広告をクリックしてくださる利用者がそれに比例して増えれば、データベースを細々と増やしていくことも可能になるかもしれない。もっとも、それにはアクセ ス数が少なくとも現在の100倍以上になる必要があるので、いまの段階では夢でしかない。アクセスを増やす方法があれば、教えていただきたい。

 出版翻訳で数百万部の大ヒットがあれば、印税収入を使って、翻訳訳語辞典を大拡張できるのだが、これはたぶん、DictJuggler.netのアクセ ス数を増やすより、さらに遠い夢だと思える。出版翻訳は宝くじのようなもので、データベースに資金を投じられるほどの印税収入が入ってくる確率はごくごく 低いからだ。だが、可能性がまったくないわけでない。出版翻訳という宝くじを買いつづけていれば、いつか、数百万部の大ヒットに恵まれないともかぎらな い。

(2008年1月号)