翻訳論
田辺希久子
翻訳者のアイデンティティ――日仏比較

 
翻訳者のアイデンティティについては近年、紛争や抑圧という状況での翻訳者の帰属の問題が扱われることが多い。しかしここではフランス人研究者と私自身の 調査を取り上げ、社会心理学的な観点から翻訳者の自己アイデンティティを考えてみたい。

カリノウスキはパリ近郊の出版翻訳者10人にインタビュー調査を行い、社会学的視点から彼らの職業観を分析している(Isabelle KALINOWSKI. “La vocation au travail de traduction.” Actes de la recherche en sciences socials. 2002/2 – 144. Le Seuil)。一方、私は昨年、日本のプロ翻訳者9人(産業2、出版7)にPAC分析という心理学的手法を使ってインタビュー調査を行った(Kikuko TANABE. “A ‘Personal Attitude Construct’ Analysis from the Experiences of Japanese Translators.” Kobe College Studies. Vol.56 No.2. 2009. Kobe College)。私の調査はテーマ抽出のための予備的調査だが、カリノウスキは明確に社会学的アプローチで分析を行っている。従って以下ではカリノウス キの分析を基本として、それに沿って私の調査結果を対比してみたい。

カリノウスキによれば、フランスでは外注化が出版業界のコスト削減に貢献しており、在宅翻訳者はその目的に合致した不可欠の存在である。翻訳料は通常は原 文1枚(1500字)で120フラン(約2000円)で、低落傾向にある。インタビューを受けたある翻訳者は、たとえ大衆向け小説でも「手抜きはできな い」と言い、経験を積めば翻訳の質はあがるが時間もかかるようになり、体力的にも精神的にもきつい仕事である。しかし報酬は少なく、世間からも認められな い。それでも翻訳者たちはそうした矛盾を、社会的束縛から逃れる唯一の方法として、あるいは孤独の中で不安に耐える「インテリ」の称号を与えてくれるもの として進んで受け入れている。カリノウスキはヴェーバーの天職概念を引き、「営利的天職」としての出版社と「労働的天職」としての翻訳者との「宿命的適 合」を指摘している。

日本の翻訳者も「忍耐力」を翻訳の基本として強調していた。ベテラン出版翻訳者の「八時間座り続けられる人でないと翻訳は出来ない。あきらめがつかない人 ほど良い翻訳者」という発言は、フランスの翻訳者の発言と驚くほどよく似ている。一方で出版社や読者以上に、原著者への忠実が強調されていた点はフランス と異なる(フランスの出版界は英米と同じく同化翻訳の規範が強い)。また日本では「翻訳者は黒子」等のメタファーを通して、原文への従属が翻訳者コミュニ ティに共有されている様子もうかがえた。原文への忠実は原文(とその文化)への従属も意味するが、翻訳者の意識次第でその自律性を示すものともなりうる。

日本での報酬については、「翻訳がコスト的に合うはずがない」と断言する出版翻訳者、「翻訳会社が不誠実で、翻訳者は単なる使い捨て」と怒りをぶつける実 務翻訳者などがいて、報酬の低さはフランスと変わらない。フランスの翻訳者がそうした過酷な条件を受け入れる理由として自由さやインテリの称号を挙げるの に対し、日本の翻訳者は達成感、あるいは「次世代に残す」「異文化の橋渡し」といった使命感を挙げる人が多かった。日仏の「インテリ階級」のあり方の違い もあるだろうが、日本の出版翻訳者がより使命感、達成感を得やすい環境にいることも理由だろう。名古屋大学のイザベル・ビロドーさんの調査によれば、日本 の翻訳者は表紙への名前の記載、あとがきの執筆など、フランスの翻訳者より大きな社会的認知が与えられている。私のインタビューの中でも、訳書の体裁まで 助言する人、翻訳企画の採否を左右している人などがいた。

カリノウスキが挙げているもう一つの論点は学者翻訳者とフリー翻訳者の関係である。フランスの学者翻訳者は収入が保証されているため、時間をかけて評価の 高い名作を訳すことができる。仕事を選べないフリー翻訳者は、「自分がどんな本を訳しているか恥ずかしくて人に言えない」こともあるという。とはいえ学者 翻訳者も大学の世界では蔑視されている。どんな名作だろうと翻訳は他律的とされ、実績として認められない。さらに学術的でないとの評価ゆえに、逆に正当な 報酬を要求できず、出版社にとって都合のよい存在になってしまっている。

私の調査には学者翻訳者は含まれていないが、日本では1970年代に至るまで学者翻訳者が出版翻訳の中心だった。その歴史的研究も最近充実してきている が、「翻訳調」という支配的規範の担い手として分析されることが多く、編集者・出版社との経済的関係、アカデミア内での位置づけなどについては、今後より 詳しい分析が必要だろう。

以上、カリノウスキの分析を中心に、日本との比較を試みた。翻訳者が搾取されている状況は日仏でよく似通っているが、翻訳を続ける理由は微妙に異なってい る。フランスではインテリ階級としてのプライドが、日本ではより広い社会的認知を与えられることが翻訳者を支えているようだ。