翻訳に関する断章
山岡洋一

翻訳調のインフラとしての英語教育

 
 翻訳調ならもう克服済みだと思うのだが、なぜそんなにこだわるのかという質問を受けた。正直なところ、自分自身の翻訳を含めて、世間一般の翻訳の質が翻 訳調を克服したといえるほど高くなっているかどうかおおいに疑問だと思うのだが、その点はともかく、少し観点を変えてみてみると、翻訳調がじつに根深いも のであることが理解されるはずである。

 翻訳調とは表面的には、外国語から日本語への翻訳に使われてきたスタイルの一種である。明治半ばからほぼ100年間にわたって、翻訳の主流の座を占めて きた。確かに一般読者向けの出版翻訳の世界では1990年代以降、翻訳調は主流の座から滑り落ちたようだ。ただし、専門家向けに専門家が訳した本では、い までも翻訳調が使われている場合が多い。哲学や法律をはじめ、いくつかの分野では翻訳調を絶対視する見方がいまだに根強い。しかし、翻訳調が根深いという のは、専門書の翻訳に関して、いまだにこうした見方があるからではない。

 翻訳調が根深いという理由は明治以降、翻訳調を支えるために作られてきたインフラストラクチャーが、ほころびがみえてきた部分があるとはいえ、いまだに 大部分が健在だからだ。出版翻訳という形で、すぐに目につく部分はじつのところ、翻訳調の体系のなかでは氷山の一角にすぎない。海面下の目にみえない部分 に、いや実際にはみえているのだが、翻訳調との関係が意識されない部分に、大規模な構造が作られていて、いまでも大きな影響力をもっている。

翻訳調のインフラ
 翻訳調が明治半ばに確立したのは、何よりもまず、明治政府が欧米の進んだ文化を取り入れる手段として、翻訳主義を採用したからである。

 翻訳主義というのは聞き慣れない言葉かもしれないが、要するに、英語などの外国語を学んで外国語で進んだ文化を学ぶ方法をとるのではなく、外国語で書か れた文献を母語である日本語に翻訳し、母語で学ぶ方法をとったという意味である(「翻訳通信」2005年4月号を参照)。明治政府が翻訳主義を採用し、成 功を収めたからこそ、いまの日本があるというのは、確かな事実だと思う。翻訳主義が採用されていなければ、日本はいまだに発展途上国だったかもしれない し、少なくとも母語で翻訳について論じることなどできなかったのではないかと思う(英語でポストコロニアルの翻訳論とやらを論じて、どこか先進国の大学で 専任のポストが得られないかと期待していたかもしれない)。

 このため翻訳調は、翻訳という狭い世界のなかで誰かが主張してはじまったものだとか、一時の流行が定着したものだとかいうわけではない。明治政府が国の 命運をかけて取り組んだ大事業に採用された方法なのである。国の命運がかかっていたのだから、当然、個人の努力や工夫に任されていたわけではない。明治政 府は翻訳調の翻訳を支えるために、膨大なインフラを構築している。たとえば辞書の整備とか、文法の研究などがあるが、おそらく最大で最強のインフラは教育 制度だったと思われる。

 明治の時代に確立された学校教育制度にはもちろん、いくつもの目的があっただろうが、その少なくともひとつが翻訳者の教育と選抜であったことは間違いの ない事実だとみられる。義務教育制度を確立し、全国津々浦々に学校を作り、とくに優秀な成績を収めた人材を中学、高校、大学に集めて、徹底した外国語教育 を行った。そのなかでトップの成績を収めた学生の多くが大学に残り、教授になって、何よりも専門分野の主要な文献を翻訳する役割を担った。翻訳調の翻訳が 当時、とりわけ優秀な人材の主たる役割だったのである。

 だから、当時の外国語教育は翻訳教育を主な目的のひとつとし、主な手段のひとつにもしていた。

外国語教育の手段としての翻訳教育
 何年か前に、英語で書かれた翻訳論の論文を読んでいて、外国語教育の手段として翻訳教育を行っているという記述にぶつかったことがある。そのときの第一 印象は、変わったことをする国があるものだというものだった。日本には少なくとも知っているかぎり、外国語教育の手段として翻訳を教えている人はいないと 思うし、いるはずがないと思えたのである。

 翻訳教育は外国語教育とはまったく別のものというのが、たぶん、いまの日本の常識だと思う。翻訳教育にあたって、真っ先に教えるべきことは、翻訳と英文 和訳は違うという点である。つまり、翻訳という観点に立つのなら、まず、普通の外国語教育、とくに学校や塾の英語教育で学んだ点を否定することが出発点に なるのである。

 だが少し考えてみると、このような見方がまったくの勘違いであることが分かる。学校英語、受験英語で教えられる英文和訳、和文英訳とはまさに、外国語教 育の手段としての翻訳教育なのである。であったというべきかもしれない。

 明治から大正、昭和初めまでの英語教育を考えてみると、旧制の中学、高校、大学の外国語教育は、前述のように、翻訳者の教育と選抜を目的のひとつにして いた。翻訳調で欧米の文献を訳すことを任務とする人材を育てることを主要な目的のひとつにしていた。そして、当時の学校での外国語教育は、この目的に合わ せて最適化されていた。英文和訳はまさにそうなっていて、翻訳調による翻訳の方法を教えていたのだ。翻訳調が英文和訳調と同じあるのはそのためだ。じつに 合理的ではないだろうか。そう、現実にあるものは理性的なのだ。

 もう一度確認しておこう。第一に、明治政府は欧米の進んだ文化を取り入れる方法として、翻訳主義を選んだ。これが国家と民族の存亡をかけた大方針であっ たことを忘れてはならない。第二に、翻訳の方法として、翻訳調が選ばれた。第三に、翻訳調による翻訳を担う人材を教育し、選別することが、当時の教育制度 で、主な目的のひとつであった。第四に、この目的を達成するのに適したように、当時の中学から大学までの外国語教育が組み立てられ、その中心になっていた のが、翻訳調による翻訳の方法を教える英文和訳であった。したがって、翻訳調による翻訳が頂点にあり、それを支えるインフラとして中学、高校、大学の外国 語教育、とくに英文和訳の教育があったのである。

マドロスさんの時代の英語教育
 清水義範著「永遠のジャック&ベティ」という短編小説がある。あのジャックとベティが五十歳になって偶然再会したという設定で、奇妙で苦い会話が描かれ ている。

 この人は、あの懐かしい……、と思ったとたん、彼の言語中枢は三十数年分退化した。
 やあ、もしかしてきみは、ベティじゃないのかい、という普通の会話言葉が出てこなくなり、中学時代の奇妙な言葉遣いに戻ってしまったのだ。
「あなたはベティですか」
 そう問われたその女性の顔に、驚きの色が広がった。そして、彼女もまた懐かしさのあまり言葉が変になってしまったようだった。
「はい。私はベティです」
「あなたはベティ・スミスですか」
「はい。私はベティ・スミスです」(清水義範著『永遠のジャック&ベティ』講談社文庫、7-8ページ)

 人工的で奇妙な言葉、英語教育ではこういう言葉を使うことになっていた。こういう言葉が大まじめに教えられてきた。

 たぶん、マドロスさんが憧れの的だった時代にはこれでもよかったのだろう。いまでは死語に近くなった言葉、懐かしのメロディにでてくるだけになった言葉 だが、戦後しばらくまでは、マドロスさん、つまり船員はかっこいい職業だった。ごく普通の貨物船に乗っているだけなのだが、海外に行けるからだ。海外はは るかに遠い世界、素晴らしい世界だった。そんな世界への通行券になりうるのが英語であった。だから、英語を学ぶときに普通とは少々違う日本語を使うのは当 然だという感覚もあったのだろう。ジャックとベティの会話を普通の言葉で訳したのでは、ありがたみがないではないか。太郎と花子の会話ではないのだから。

 そして、マドロスさんの時代にはまだ、この人工的な言葉が合理的だといえる根拠が残っていた。当時の著名な学者には、翻訳調による翻訳を主要な仕事にし てきた人が少なくなかったからであり、そして、翻訳調の訳文は日本語という観点でみたとき、まさにこの会話を複雑にしたものだからだ。しかし、このころに はすでに、翻訳によって欧米の進んだ文化を取り入れることが国家目標ではなくなっていた。少なくとも科学や技術、思想などの面では欧米の知識をかなりよく 吸収して、つぎの段階に進めるようになっていたのである。

歴史的使命を終えて
 翻訳主義と翻訳調が歴史的使命を果たし終えたことは、たぶん、議論の余地がないほど確かな事実である。翻訳によって欧米の進んだ文化を取り入れることが 国の目標になる時代は明らかに終わっている。なぜ終わったのかというと、明治、大正、昭和の初めにかけての翻訳が功を奏したからだ。

 では、翻訳調の翻訳を頂点に、それを支える教育制度があり、とくに英文和訳の教育があるという体制はどうなったのか。目的を失った英文和訳は静かに退場 したのだろうか。

 退場などしていない。いまだに英文和訳は健在だ。そういうと、いまの中学、高校では英文和訳などまともに教えていないと反論されるかもしれない。コミュ ニケーション能力を重視しているというわけだ。笑わせてはいけない。いまの時代、ほぼどんな分野の仕事でも、英語の文書を読む能力がきわめて大切になって いる。とくに重要な文書や論文はかなりの部分、英語で書かれているからだ。そういう文書を読む能力を育てないで、コミュニケーション能力を云々することが できるのだろうか。

 いまの学校で英文和訳を教えていないとすると、英文和訳だけでなく、何も教えていないというのが現実ではないだろうか。そして、教えている場合には、や はり昔ながらの英文和訳を教えているのである。アダム・スミスならたぶん、制度というものはいったん作られると、そのときに背景になった状況、その制度が 合理的であるために不可欠な状況がなくなった後も、長く存続するものだというだろう(『国富論』第3編第2章を参照)。

 英文和訳は目的を失い、合理性を失ったいまも、学校英語という世界で生き続けている。英文和訳で抜群の成績を収めたものが一流の大学に進学し、エリート として遇されるようになる構図は変わっていない。

 明治から大正、昭和の初めまでなら、英文和訳で抜群の成績を収めたものは、その能力をそのまま、翻訳調の翻訳に活かすことができた。翻訳調の翻訳が歴史 的な使命を終えたいま、英文和訳の能力が受験以外のどこで役立つというのだろうか。受験が終わったらなるべく早く忘れないと、翻訳はおろか、英文を読む際 にも障害になりかねないのが英文和訳の知識である。このような知識を教えられ、それに疑問ももたず、笑いもせず、きまじめに学べるかどうかで、子供たちの 一生の進路が決まる仕組みになっている。何という不合理、何という不条理がまかり通っているのだろう。

翻訳という観点から英語教育を考える
 以上の点を翻訳という観点から考えるなら、翻訳調をほんとうの意味で克服するには、英文和訳を中心とする英語教育法を克服しなければならないといえるは ずである。たとえば、英文和訳に代えて、翻訳を教える方法があるはずである。つまり、「永遠のジャック&ベティ」風ではない正真正銘の日本語で英語を学べ るようにするのである。翻訳の実務で翻訳調を克服するために考えられてきた点を活かせば、新しい英語教育法を開発することが可能かもしれないと思う。

 いま、学校以外の場での英語学習はじつに盛んだが、その多くは直接法を使っている。つまり、英語で英語を学ぶ方法を使っている。昔、植民地で現地人を教 育する際に使われた方法だ。比較的単純な会話なら、直接法は十分に効果的であることが証明されている。嘘だと思うのなら、外国人力士のインタビューを聞い てみるといい。直接法だけで日本語を学んだ成果が示されている。

 だが、いまの時代に必要な外国語力は、海外旅行で恥をかかないようにする程度ではない。はるかに高度な内容を外国語で読み書き聞き話すことができるよう にしなければならない。そして、外国語で学んだ高度な内容を母語で消化したうえで、外国語で発信できるようにしなければならない。その場合、外国語を母語 で学ぶ間接法が重要になる。翻訳はそもそも間接法なので、翻訳という観点にたてば、間接法の優れた外国語教育法ができるかもしれない。

 教育法の開発にはとんでもない時間と労力(したがってコスト)が必要になるだろうが、翻訳教育や翻訳論などに取り組んでいる若手にとって、面白い課題に なるかもしれない。

 母語で外国語を学ぶ新しい方法が開発され、普及すれば、翻訳の質も飛躍的に向上するだろう。そうなれば、英文和訳から脱却しようと苦闘してきた世代の翻 訳者は用済みになる。日本の将来という観点では、そういう時代が早くくるよう願っている。個人としては苦しくなるだろうが。

2009年9月号)