翻訳についての断章
山岡洋一

19 世紀の翻訳と20世紀の翻訳

  前回、中村正直訳『自由之理』(1872年)について触れた。原著者のジョン・スチュアート・ミルは19世紀のイギリスで活躍した著者であ り、中村とほぼ同時代の人物だ。経済学に興味のある人にとっては古典派経済学の完成者だし、哲学の興味のある人にとっては功利主義の学 者だし、政治に関心のある人にとっては『自由之理』の原著、On Libertyの著者だ。つまり、この時代に相応しく、森羅万象を考えようとした思想家であった。ミルの著作はいまでも古典として読みつがれており、この On Libertyも、塩尻公明・木村健康訳『自由論』(岩波文庫)を簡単に入手できる。

 塩尻・木村訳は1971年に出版されているので、中村正直訳より99年後に刊行されている。中村訳と塩尻・木村訳を比較すると、明治の初めから100年 で翻訳がどう変わったかを知るうえで絶好の資料になる可能性がある。

 塩尻・木村訳が出版された経緯が、吉野源三郎による「あとがき」にくわしく書かれている。岩波文庫で『自由論』の新訳を計画したのは1938年だったと いう。日中戦争の最中、第2次大戦がはじまる前の年である。この時期に自由について論じた本の翻訳出版を計画し、しかも当初は河合栄治郎に翻訳を依頼した というのだから驚く(河合栄治郎は自由主義者だと批判されて大学を追われ、起訴されている)。塩尻訳の出版は1971年だが、翻訳の時期が戦争中だったの で、戦後に文語体の文章を口語体に改めるのに時間がかかったという。自由の大切さを説いたこの本を戦争中に訳していたというのだ。

 それはともかく、訳文をみていこう。まず前回にも紹介した中村正直訳『自由之理』(1872年)の第一章冒頭部分を今度は段落全体にわたって引用し、つ ぎに同じ原著を訳した塩尻公明・木村健康訳『自由論』(1971年)を紹介する。中村訳は片仮名で読みづらいという意見もあるだろうが、平仮名にする方法 はとらなかった。塩尻・木村訳はこの種の翻訳でごく普通に使われていた文体なので、比較的読みやすいと思う。

中村正直訳『自由之理』、序論
 リベルテイ〔自由之理〕トイヘル語ハ、種々ニ用 ユ。リベルテイ ヲフ ゼ ウーイル〔主意ノ自 由〕(心志議論ノ自由トハ別ナリ)トイヘルモノハ、フーイロソ フーイカル 子セスシテイ〔不得已〔ヤムヲエザル〕之理〕(理學家ニテ名ヅケタルモノナリ、コレ等ノ譯後人ノ改正ヲ待ツ。)トイヘル道理ト 反對スルモノニシテ、此書ニ論ズルモノニ非ズ。此書ハ、シヴーイ ル リベルテイ〔人民の自由〕即チソーシアル リ ベルテイ〔人倫交際上ノ自由〕ノ理ヲ論ズ。即チ仲間連中(即 チ政府)ニテ各箇〔メイ/\〕ノ人ノ上ニ施シ行フベキ權勢ハ、何如〔イカ〕ナルモノトイフ本性ヲ講明シ、并ビ ニソノ權勢ノ限界ヲ講明スルモノナリ。○自由トイエル事、顯然タル議論ノ題目トナリシ事ハ、古ニアラザレドモ、人世ノ事蹟ニ於テ、政府ト人民ト、コレヲ得 ントテノ争ハ、古代ヨリ隱然トシテコレアリシナリ。世道ノ開化ニ進ムニ至リテ、ソノ事マス/\顯ハレ、自由ノ情形〔アリサマ〕自〔オノズカ〕ラ新タニナリ タレバ、コノ道理ノ原由ヲ講明セザルベカラズ。(『明治文化全集』第5巻、日本評論社、7ページ、傍点は太字で示した)

塩尻公明・木村健康訳『自由論』、第一章 序説
 この論文の主題は、哲学的必然という誤った名前を冠せられている学説に実に不幸にも対立させられているところの、いわゆる意思の自由ではなくて、市民 的、または社会的自由である。換言すれば、社会が個人に対して正当に行使し得る権力の本質と諸限界とである。この問題は、一般的に述べられたことは稀れで あり、また一般的に議論されたこともほとんどないが、それが潜在していることによって現代の実践的論争に深甚の影響を及ぼしており、また、やがては将来の 最も重要な問題と認められる可能性のある問題である。これは、新奇な問題どころではなくて、ある意味においては、ほとんど最古の時代から、人類を二分させ て来た問題である。しかしながら、今日比較的文明の進んだ部類の種族においては、この問題は新たな諸条件の下に立ち現われて、これまでとは違った、一層根 本的な取り扱いを必要とするのである。(岩波文庫9ページ)

John Stuart Mill, On Liberty
THE subject of this essay is not the so-called 'liberty of the will', so unfortunately opposed to the misnamed doctrine of philosophical necessity; but civil, or social liberty: the nature and limits of the power which can be legitimately exercised by society over the individual. A question seldom stated, and hardly ever discussed in general terms, but which profoundly influences the practical controversies of the age by its latent presence, and is likely soon to make itself recognized as the vital question of the future. It is so far from being new that, in a certain sense, it has divided mankind almost from the remotest ages but in the stage of progress into which the more civilized portions of the species have now entered, it presents itself under new conditions and requires a different and more fundamental treatment. (Penguin Classics, p. 59)

 戦争中にこの本を訳すこと自体が大変なことだったのだから、塩尻・木村訳を安易に批判するわけにはいかない。だが、塩尻・木村訳を読むと、訳語が決ま り、訳し方が確立して、翻訳がいかに効率的になったかが実感できるはずである。たとえば、中村正直が「不得已〔ヤムヲエザル〕之理」として「後人ノ改正ヲ 待ツ」としたphilosophical necessityは、「哲学的必然」と訳されている。これ以外の訳語を容易には思いつかないほど、自然な訳ではないだろうか。

 もっとはっきりしているのはsocialやsocietyだろう。中村が使った「人倫交際上ノ」はありえないし、「仲間連中(即チ政府)」はおそらく、 「誤訳」の一言で片づけられるはずだ。塩尻・木村訳はもちろん、「社会的」「社会」と楽々と訳しており、誰が訳してもこれ以外にはありえないといえるほど である。

 だが、翻訳というものの性格を考えるなら、中村正直がおそらくは七転八倒のすえに考えだした訳語にも、捨てがたい魅力がある。じつは、この段落の後に、 中村正直が長い訳注をつけている。また片仮名かと嫌われるのを覚悟のうえで引用しておこう。じっくり読むに値するすばらしい訳注だと思うからだ。

 本文ニイヘル仲間〔ナカマ〕連中ニテ、一箇〔ヒトリ〕ノ人ノ上ニ施シ行フ權勢トイフ 事ハ、下ヲ讀テ自〔オノズカ〕ラ知ラルヽ事ナレドモ、荒増コヽニ説クベシ、○國中惣體ヲ一箇〔ヒトツ〕ノ村ト見ル。村中ニ家數〔ヤカズ〕百軒アルト見ル。 コノ百軒ノ家ハミナ同等ノ百姓ニテ、貴賤ノ差別ナシ。然ルウヘハ、銘々安穏ニ暮〔クラ〕サルヽヤウニ、家業ヲ出精シ、ソノ他〔ホカ〕心ノ欲スルニ従ガヒ、自由ニ何ニ事ニテモ為シ、利益ヲ得テ宜シキ道理ナリ。固ヨリ他人ニ屬シ、コレガ 指揮ヲ受ベキ理ナク、マシテヤ、他人ニ強〔シヒ〕ラレ、吾ガ本心ノ是〔ヨシ〕トスルモノヲ行ヒ得ザル理ナキ事ナリ。サレドモコノ百軒ノ家ハ、互〔タガ〕ヒニ 持チ合ヒテ一村トナリタルモノニシテ、タトヒ銘々壇那〔ダンナ〕ノ權〔カブ〕(自由ノ權)アリ、自由ニ己〔オノレ〕ガ便利ヲ謀リテ宜シキ譯〔ワケ〕トハイ ヒナガラ、村中総體ノ便利ヲモ謀ラザルベカラズ。或ハ、鄰村ヨリ盗賊ノ襲ヒ入ル事モアレバ、相互〔タガ〕ヒニ力ヲ合セテ、コレヲ防ガザルベカラズ。サルカ ラニ申シ合セテ、百軒ヨリ、毎年少々ヅヽ金銭ヲ出シ、村中總入用トナシ、年番ヲ立テ、五六軒ニテ、仲間ヲ組ミ、村中ノ事ヲ取リ扱カヒ、ソノ總入用ノ中ヲ以 テ、或ハ橋ヲ架〔カケ〕シ、川ヲ浚〔サラ〕ヒ、道普請ヲ為シ、或ハ相應ノ武器ヲ備ヘ、或ハ凶年ノ為〔タメ〕ニトテ米穀ヲ蓄〔タク〕ハフ。コレ租税ノ姿ナ リ。又村中ニ人ヲ殺スモノアリ、仲間連中ニテ評議シ、カヽル人ヲ赦シオカバ、惣體ノ害トナルベシトテ、コレヲ刑罰ニ行フ。コレ刑法院ノ姿ナリ。抑モ年番ニ アタル仲間連中ハ、村中守護ノ役目ヲ持〔モテ〕ル事ナレバ、固ヨリ村 中ノ事ヲ裁判スル權アリ。サレド、コノ權ガアマリニ強クナルトキハ、一箇ニテ自由ニ 事ヲ行フ事ノ妨トナル事ナレバ、仲間連中、即チ政府ニテ、一箇〔ヒトリ〕ノ人ノ上ニ施コシ行フ權勢ノ限界ヲ論定スルハ、人民ノ福祉ヲ増ンガ 為メニ、一大關係ノ事トハナリタルナリ。

 原著は、個人の自由をgovernmentとの関係だけでなく、societyとの関係でもとらえるべきだと論じているので、societyをどう訳す かは決定的な意味をもっている。そこで中村正直は、「仲間連中」の意味を解説しておく必要に迫られたのだろう。この訳注は、当時の「社会契約説」に近く、 いまの「モデル」に近い方法を使って、societyを当時の読者に理解できる言葉で解説したものである。いまの言葉でいうなら……、「国がもし百軒の村 だったら」だ。

 国が百軒の村だったら、百軒がみな同等に「壇那〔ダンナ〕ノ權〔カブ〕(自由ノ權)」、つまり相撲の年寄り株のような「株」、株仲間の「株」をもってい ても、各自が自由に行動できるわけではない。村を守るために協力する必要があるし、税金を負担して道路などの公共施設を作り維持する必要もある。犯罪があ れば裁判も必要になる。こうしたことを担当する「仲間連中」が「政府」であり、「仲間連中」が各人の自由をどこまで制約できるかが問題なのだと中村正直は いう。「国がもし百軒の村だったら」と考えて、societyの意味を解説したのである。

 塩尻・木村訳の時代にはsocietyは「社会」と訳すしかないとされるようになっていた。他の訳語はありえない。だから、中村正直のように苦労するこ とはなく、societyの意味をとくに考えなくても翻訳ができたともいえる。少なくとも、考えても考えなくても訳語は変わらなかったはずだとはいえる。

 戦争中にいわば命懸けで『自由論』を訳した塩尻公明が、societyの意味を考えなかったとは思えないが、敗戦の後、何をどう訳そうが、そのこと自体 で投獄される恐れなどなくなった段階では、事情が違っていたはずだ。考えても考えなくても訳語が変わらないのであれば、考えるだけ無駄だと思うのが人情と いうものだ。いわば機械的に訳語を割り当てても不安を感じないのが普通だろう。翻訳という観点からは、これはきわめて危険なことだ。

 ためしに、societyがどのような意味なのかを考えてみるといい。たとえば、communityとsocietyは意味が同じなのか違うのか。何と 馬鹿げた質問をするのかと思うかもしれない。言葉が違うのだから意味が違うに決まっているではないかと。だが、言葉というものはそう簡単ではない。その証 拠をあげてみよう。

それ故に、愛国者たちの目的は、支配者が社会の上に行使することを許された権力に対し て制限を設けることであった。(塩尻・木村訳10ページ)

サレバ、コノ時、國ヲ愛シ民ヲ助クル義士、オモヘラク、カク人民ノ安カラザルハ、君主ノ權ニ限界ナキユヱナリ、今ヨリハ、君主民ヲ治ムルノ權ニ、限界ヲ立 テ定ムベシト。(中村訳8ページ)

The aim, therefore, of patriots was to set limits to the power which the ruler should be suffered to exercise over the community;(On Liberty, p. 60)

しかるに、やがて、民主的共和国は地球表面の大きな部分を占めるに至り、自らを諸国民 から構成される社会の最も有力な成員の一つとして感ぜられるに至った。(塩尻・木村訳13ページ)

今ハ民治ノ國、尤モ勢力アル人民ト稱セラレ、地球上ノ大分ヲ占ル事トナリ、(中村訳9ページ)

In time, however, a democratic republic came to occupy a large portion of the earth's surface and made itself felt as one of the most powerful members of the community of nations; (On Liberty, p. 62)

 このように、塩尻・木村訳ではcommunityが「社会」と訳されている。つまり、communityとsocietyは意味が同じだと解釈されてい るのである。当然ながら中村正直はcommunityを「社会」とは訳していない。「民」「人民」という訳語を使っている。

 では、この「人民」という訳語を中村正直がどう使ったかをみていくと、次のような例にぶつかる。

今ハタヾ擇ベルトコロノ君主ノ志願ヲシテ、人民ノ志願ト同一ナラシメ、君主ノ利益ヲシ テ、人民ノ利益ト同一ナラシメレバ可ナリ。(中村訳9ページ)

今や求められていることは、統治者が人民と同体となるべきであるということであった。即ち、統治者の利益と意思とが、国民の利益と意思でなければならぬと いうことであった。(塩尻・木村訳12ページ)

What was now wanted was that the rulers should be identified with the people, that their interest and will should be the interest and will of the nation. (On Liberty, p. 61)

 このような用例をみていくと、societyはcommunityともnationとも同義語ではないかと思えてくる(手元のシソーラスを引くと、どち らもsocietyの同義語にあげられていた)。そしてもうひとつ、peopleも同じ意味なのではないかと考えるのが当然である。

 もちろん、society = community = nation = peopleという等式が成り立つわけではない。言葉というものはそう簡単ではない。この4つの語には意味が重なる部分があり、原著者がこれらの語を、重 なる部分の意味で使った可能性があるというだけである。

 だが、たとえばnationとsocietyとで重なる部分の意味とは何なのか。こう考えると、「社会」という訳語があるからといって、society という語に安心していられないことが実感できるのではないだろうか。この語の意味が曖昧になり、あやふやになって、困惑するのではないだろうか。

 たぶん、このような不安を感じれば、中村正直の偉大さも理解できるようになるはずだ。辞書があり、簡単に訳文ができるからといって、原文の意味がわかる とはかぎらない。中村訳から99年の後に出版された塩尻・木村訳が、原文を忠実に訳した翻訳だと思えるとしても、中村訳より優れているとはかぎらないの だ。訳語が決まり、訳し方が決まって、「正確さ」と「効率性」の面では大きく進歩したように見えても、原著の意味をどこまで訳書の読者に伝えられているの かという観点から評価したときに、たしかに進歩しているとは断言できないのだ。

 杉田玄白は『蘭学事始』で、『ターヘル・アナトミア』の翻訳をはじめたときの感想として、「誠に艫舵〔ろかじ〕なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋 〔ぼうよう〕として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり」と書いている(杉田玄白著『蘭学事始』岩波文庫、38ページ)。翻訳とはまさ にそういうものだと思う。原文の表面は簡単に分かっても、意味をほんとうにつかめているかどうかは分からない。意味が理解できたと思っても、ごくごく表面 の部分しかつかめていないかもしれない。高速エンジンとGPSを備えていると思うから間違えるのであり、そもそも「艫舵なき船」なのだと思えば、少なくと も自己満足に陥る愚は避けられる。

 それはともかく、societyに話を戻そう。19世紀にこの語を訳すのは容易ではなかった。中村正直がこの語に苦闘したことは、『自由之理』の訳注を 読めばよくわかる。同じ時期に福沢諭吉がこの語に苦闘したことは、『文明論之概略』を読めばよくわかる。

 だが、明治も半ばになり、20世紀に入るころになると、「社会」という訳語が定着し、中村の「人倫交際」や「仲間連中」など、福沢の「人間交際」などの 訳語は使われなくなった。このあたりの事情は、柳父章の名著『翻訳とはなにか』(法政大学出版局)と『翻訳語成立事情』(岩波新書)にくわしい。

『翻訳語成立事情』の第1章「社会」には「societyを持たない人々の翻訳法」という副題がついている。当時の日本には、個人を単位とする幅広い人間 関係がなかったと柳父は指摘する。つまり、societyという概念がなかっただけでなく、その概念の裏付けとなる現実がなかったという。だから、「社 会」は「世間」や「世の中」などとは違って、見聞きでき、実感できる具体的な内実を欠いた言葉であった。具体性とは切り離された抽象的な概念、それが「社 会」だという。

「仲間連中」や「人間交際」「世間」「世の中」などではなく、「社会」という訳語が定着した背景には、意味内容がほとんどない抽象的な言葉に魅力があると いう事情があったと柳父は指摘し、この魅力を「カセット効果」と名付けている。カセットとは宝石用の小箱のことだ。中に宝石が入っていなくても、美しい装 飾で人を引きつけるという。おそらく、人間には抽象的な言葉を好む本能が備わっているのだろう。子猫がボールにじゃれつくように、子供は言葉で遊ぶ。まず 言葉を覚え、意味がわからなくても、言葉という玩具を使えることだけで大喜びする。

「社会」という言葉にはそういう魅力があった。日本にはないもの、はるかに遠く、はるかに進んでいて、理解することなどとてもできない理想の状態をあらわ す言葉だと受け止められたからだ。「社会」という言葉が身近な現実と接点をもつ機会はひとつしかない。それは、欧米という理想を基準にして、日本の遅れを 嘆くときである。日本は遅れていて、みな上下関係にしばられており、個人の平等の関係が成り立たないのだから、そもそも社会といえるものがないという具合 に。この結果、「社会」という言葉は自分の周囲にある現実を遅れたものとして切り捨てる手段にはなっても、現実を現実としてとらえ、分析する際の道具には なりにくくなった。

 このような言葉としての「社会」がsocietyの訳語として定着するようになって、中村正直や福沢諭吉らの巨人が「艫舵なき船」で欧米の知識という大 海に乗り出すために苦闘した時代は終わった。20世紀になると、訳語という艫、訳し方という舵が整備されるようになって、翻訳の主役は巨人から秀才に変 わったといえるかもしれない。

 その結果、中村正直のように、原著にあるsocietyという言葉の意味をひとつずつ考え、それぞれの文脈にふさわしい訳語を探す方法は好まれなくなっ た。そして中村訳の『自由之理』に対しては、societyという重要な概念、キイワードをいくつもの訳語を使って訳したのでは、societyの意味が わからなくなるという批判がだされるようになっている。こう批判した人たちは、原著者のミルがsocietyをcommunityやnationや peopleなどに言い換えている事実をどう考えていたのだろうか。原著者が言い換えているのに、訳者がいくつもの訳語を使ってはならないという理由があ るのだろうか。いまの時点にたてばこういう疑問がわいてくるのだが、当時はそうは考えなかったようだ。

 なぜそう考えなかったかというと、欧米の知識という大海に乗り出すのに、艫と舵があるだけの小舟を使うしかなかったからだ。はるかに遠い欧米、はるかに 進んだ欧米、理解することなどとてもできない欧米をごくわずかでも理解するには、たとえばsocietyのように、日本にはないと思える言葉と概念を手掛 かりにするしかないと思えたからだ。言葉に対する物神崇拝ともいえる感覚、言霊信仰ともいえる感覚が、20世紀の翻訳の特徴だった。

 たぶん、塩尻公明と木村健康が『自由論』を訳した戦争中から戦後初期にかけては、20世紀型の翻訳が成立する条件が残っていた最後の時期なのだろう。戦 争中には「社会」「自由」「個人」などの言葉は危険だとされていたし、戦後初期にはまだ、欧米ははるかに遠かったからだ。

 21世紀に入ったいま、翻訳をめぐる状況は大きく変わったと思える。たとえばsocietyについていうなら、個人を単位とする幅広い人間関係がないと はいえない状況になっている。はるかに遠い欧米、はるかに進んだ欧米、理解することなどとてもできない理想を言い表す言葉としてではなく、もっと身近な現 実を分析する手段として、societyなどの概念を考え直すことができるようになっているはずである。この点についてはいずれもっとくわしく考えていき たい。

(2004年4月号)