出版不況について考える
山岡洋一

本が安すぎる可能性

 
 本が売れない。書籍の市場規模は1996年のピークから20%も縮小しているのだから、これは確かな事実だ。売れない理由は何なのか。こう問いかけたと き、確かな答えがあるわけではない。そこで、ひとつの可能性を考えてみたい。本が売れないのは、本が安すぎるからだという可能性である。

 ふつうはそう考えないことは百も承知している。値段が高ければ売れ行きが落ちるというのが書店や出版社の実感のはずだからだ。しかし、だからこそ逆の可 能性を考えてみたい。本は安すぎる。だからコストを引き下げるために安っぽい作りになる。コストが実際に下がっているので、本作りが安易になり、安っぽい 内容の本が増える。このため、書籍という媒体の価値が下がり、安くしなければ売れない状況になる。本は、安かろう悪かろうの商品に成り下がる。そうなって いる可能性はないか、考えてみたいのだ。

本はいま、たしかに安い
 必要があって、大正14年(1925年)に刊行された本を読んでいる。竹内謙二訳のアダム・スミス『國富論一』(有斐閣)であり、「定價金拾圓」と書か れている。大正14年の10円は、いまの何円ぐらいにあたるのだろうか。

 昔の価格がいまの価格でどれぐらいにあたるかを計算する方法はいくつかある。だが、それには経済統計が必要だ。大正14年のことになると、たいていの経 済統計は役に立たない。そのころから現在にいたるまで発表されている統計がないのだ。そこでやむをえず、他の方法を探ってみた。読者にとっての本の価格は 収入に対する比率でみるのが適切だと思うので、当時の収入を調べてみた。そのひとつ、大卒初任給をみてみる。現在の大学進学率は約50%、当時は5%前後 だから、大卒の価値ははるかに高かった。したがって、大卒初任給は一般の賃金水準と比較してかなり高かったはずだが、これを基準にすれば、当時の書籍の価 値を高く推定しすぎる誤りは避けられる。だから、本がいかに高かったかを考えるうえでは、そう悪い基準ではないと思える。

 現在の大卒初任給はほぼ20万円である。大正末から昭和初めにかけては、50円から70円だったようだ。当時の本の価値を控えめに見積もるために、70 円を基準にすると、『國富論一』の定価はその7分の1にあたる。いまの大卒初任給の7分の1はほぼ3万円である。2007年に刊行された拙訳『国富論上』 は同じ範囲が収録されていて、定価が3,780円だ。いまの本としてはかなり高いのだが、竹内謙二訳はその8倍にあたっている。

 昭和に入ると、いわゆる円本ブームが起こり、文庫のブームも起こって、書籍の価格が大幅に下がっている。たとえば竹内訳『國富論』は昭和6年に改造文庫 版が発行されており、上巻の定価は80銭に下がっている。単行本のわずか8%になったのである。それでも大卒初任給の約90分の1だから、現在の価値でい うと、約2,300円にあたる。文庫本で2,300円だ。2000年に岩波文庫で発行された杉山忠平訳・水田洋監訳『国富論一』は定価が860円だから、 竹内訳はその3倍に近い。

 このように、大正末から昭和初めにかけて、書籍の価格は、低く見積もっても、いまの3倍から8倍であった。

昭和42年(1967年)の価格
 もっと最近の例をみてみよう。たまたま定価が分かる本がたくさんあった1967年の例である。このころになると、たくさんの経済統計が整備されているの で、当時の価格が現在ならどれぐらいにあたるのかを推計する方法がいくつも使えるようになる。読者の収入に対する比率をみるには、国民所得を基準にするの が分かりやすいはずである。そこで、国民1人当たり名目国内総生産を基準にすることにした。

国民1人当たり名目GDP
1967年 448,000円
2008年 3,975,000円

 この41年間に、国民の所得は平均して8.8倍になっているのである。そこで、1967年の定価に8.8倍を掛ければ、当時の書籍の価値が推計できるは ずである。いくつかの例をあげよう。

書名 定価 現在の価値
河出世界の大思想 690円 6,072円
河出世界文学全集 690円 6,072円
中公世界の名著 480円 4,224円
岩波新書 150円 1,320円
広辞苑 2,500円 22,000円
文庫本 100〜250円 880〜2,200円

 河出書房の「世界の大思想」や「世界文学全集」、中央公論の「世界の名著」は当時、かなりよく読まれていたシリーズであり、発行部数が数十万になる場合 もあったようだ。それに当時の常識からいえば、480円、690円というのは決して高くはなかった(次項を参照)。当時はいまなら6,000円もするよう な本がよく売れていたのである。

 文庫をみると、100頁ほどの薄いものでいまの880円、分厚いものだといまの2,200円にあたる金額だったのだから、ほぼ2倍だったことになる。 『広辞苑』は現在、普及版で8,400円だから、当時は3倍に近かったことになる。

 以上から、いまは本が随分安くなっていることが分かる。

書籍の平均価格の推移
 出版科学研究所が毎年発行している『出版指標年報』に、「部門別平均価格」の表があり、そのうち「書籍」をみると、新刊、重版、注文品を合計した「出回 り」の平均価格が分かる。たとえば、1960年には平均259円であり、これは1人当たり名目GDPを基準に換算すると、現在の5,913円にあたる。 1967年には平均464円であり、現在の4,067円にあたる。河出書房の「世界の大思想」の690円、中央公論の「世界の名著」の480円が決して高 くなかったことがこれで確認できる。

 2008年はどうだったかというと、なんと1,125円であった。1960年の20%弱、1967年の30%弱にまで下がっているのである。この点をみ ても、本がいかに安くなったかが分かる。つぎのグラフをみてほしい。名目ベースと、1人当たりGDPを基準にした実質ベースで、戦後の本の平均価格がどう 推移してきたかを示している。

書籍名目価格の推移書籍実質価格の推移 

 
 ここでいう平均価格は、文庫や新書から単行本、豪華本までの「推定発行総額」を「出回り部数」で割ったものである。1967年には100円の文庫本や 150円の新書があるなかで、平均価格が464円なのだから、定価の高い単行本がよく売れていたことが分かる。現在は逆に、2,000円前後の単行本が多 いなかで平均価格が1,125円なのだから、定価の低い本が売れていることが分かる。

 以上から、戦前と比較して、また戦後の各時期と比較して、本がかなり安くなっているのは確かだと思える。収入と比較したときの本の価格は、いまの2倍か ら8倍という時期が長かったのである。

 次に問題になるのは、本が安くなったことと、本が売れていないことの関係である。以下ではこの点を考えてみよう。

本が安くなったことの影響
 長期的にみたとき、本の価格が大幅に下がってきたことの影響は、直接には、本の体裁の部分にあらわれている。

 たとえば、上記の竹内謙二訳『國富論一』はみるからに立派な本だ。箱入り、A5版、950ページで、6センチの厚みがある。前述の通り、大正14年 (1925年)刊で定価は10円である。現在なら低めにみても3万円にあたる。『國富論一』に収められているのは第1編と第2編だから、たとえば中公文庫 の大河内一男監訳『国富論I』と同じだ。こちらはもちろん箱はなく、文庫版、604ページであり、2.5センチほどの厚みしかない(文庫本としてはかなり 厚いが)。現在の定価は1,100円である。

 竹内訳の『國富論一』がどうしてこれほどのページ数になっているかというと、理由は2つある。第1に、950ページのうち、本文は674ページで、残り は訳者による解説などが占めている。本文は全体の3分の2ほどなのだ。だが、竹内訳はA5版なのに対して、大河内監訳は文庫なのでA6版であり、ちょうど 半分の大きさしかない。本文だけをみても、竹内訳の方がページ数が多い。もうひとつの理由があるからだ。第2に、大きな活字を使い、余白をたっぷりとって いる。このため、大河内監訳では1ページが43字18行(774字)だが、竹内訳では40字14行(560字)になっている。ページの大きさは2倍なの に、文字数は72%しかない。

 さまざまな時期に出版された本をみていくと、大正までは竹内訳と同じように、大きな活字を使い、分厚くて堂々としたものが多かった。昭和に入って活字が 少し小さくなり、敗戦直後に極端に小さくなった。紙不足のためだろう。紙不足が解消したはずの高度経済成長期にも小さな活字が使われつづけ、1990年代 になってようやく少し大きなフォントが使われるようになったが、大正時代には戻っていない。

 昔は本はみるからに立派であった。値段も高かったが、装丁も立派だし、大きな活字を使って、贅沢に作られていた。本というものは、懐を痛めて買うもので あった。買ってきたら、丁寧に蔵書印を押し、机に広げて時間をかけて読む。読み終わった本は書棚に飾っておき、いつか読み返す。新聞や雑誌などは読めば捨 てるものだが、本は違う。だから、新聞棚や雑誌棚はないのに、書棚がある。

 そういう本がいつか、値段勝負の商品になりさがるようになった。箱入りが常識だった本が箱なしで出版されるようになり、表紙も薄くなり、活字が小さくな り、コストをぎりぎりまで切り詰めていることが一目で分かるものになった。高価な商品だった本が安物になったのである。この点がどのような影響を与えてい るのかをつぎにみていこう。

媒体が内容を規定する可能性
 内容としての著作だけでは書籍はできない。印刷と製本があり、装丁があって、はじめて本になる。書籍とは、内容としての著作と、それを読者に届けるため の媒体とを組み合わせたものなのだ。

 ここでひとつの問いを出してみよう。本の価値を決める要因として、内容と媒体のうち、どちらが重要なのかという問いである。

 無意味な問いだと思えるかもしれない。本が内容と媒体の組み合わせだといっても、重要なのは内容であって、媒体の部分は副次的な要素にすぎない。読む人 に感動を与え、マスコミやブログで話題になり、口コミで読者が増えていく状況が生まれるのは、内容が良いときだ。そう思えるはずである。

 もちろん、媒体の部分がある意味で重要な意味をもつことは否定できないはずだ。たとえば装丁が美しく、書店でひときわ目立った場合、売れ行きが良くなる こともあるだろう。また、本文のデザインも読書に微妙な影響を与える。どうも読みにくい本だと思ったら、1頁の行数と1行の文字数が通常よりかなり多かっ たという経験もある。行間と字間がつまっていて、余白が少ない本は読みにくい。文字の大きさも重要だ。文字が大きすぎれば読みにくいし、小さすぎると老眼 鏡や虫眼鏡が必要になる人も多い。

 20年前にはたとえば文藝春秋などの雑誌すら活版で印刷されていた。つまり活字を使っていたのである。この20年に活版はほぼ消えたといっていい。印刷 会社にも活字はない。まずは電算写植が常識になり、いまではDTPが常識になった。これで印刷コストがかなり下がった。しかし、コストが下がったことの代 償はたしかにある。おそらく読者にはそれほど意識されていないだろうが、活字が消えてDTPが常識になり、本文の美しさが犠牲になっているように思えるの だ。印刷の職人が受け継いできた組版のノウハウが活かされなくなったからなのだろう。この点の影響は目に見えない形で、意識されない形であらわれる。読書 の楽しさが落ちるという形で。

 しかし、そうした点はすべて副次的であり、内容が優れた本であれば、媒体の部分に少々問題があっても読者は読んでくれるはずだ。そう思える。いや、そう であってほしいと思える。

 だが、長期的にみれば答えは違っているかもしれない。長期的にみると、本の価格が大幅に下がってきたことの影響は、内容に影響しているかもしれないの だ。

 まずいえる点は、媒体が安っぽければ、内容まで安っぽくみられる可能性があることだ。内容は同じでも読者の見方は変わる。違う商品についてみてみると、 理解しやすくなるはずだ。ボージョレ・ヌーボーはペット・ボトル入りが登場して、価格は安くなったが、ありがたみがなくなったのではないだろうか。中身は 同じはずなのに、消費者の印象はまるで違う。これと同じことが本でも起こっているかもしれない。本が安くなり、安っぽくなって、蔵書印を押す人もいつしか いなくなり、住宅から書棚すら消えかかっている。読んだ本は新古書店に売るか捨てる。本を大切にしようとする人は減っている。これが現実だと思える。

 だがそれだけではない。媒体が安っぽくなったことが書き手や編集者に影響を与え、内容に影響を与えている可能性があるようにも思えるのだ。活版の大きな 活字で印刷され、蔵書印が押されて、書棚にいつまでも飾られ、繰り返し読まれる本だと思えば、いまのように著者が本を書き散らすとは思えないし、まして、 著者がしゃべり散らしたことだけを材料に、ライターに書かせた本を出版しようと編集者が考えるとは思えない。時の試練を受けて生き残れる本を出版しようと 考えるはずである。

 媒体のコストが下がって、出版のハードルが下がっているのは確かな事実だろう。その結果、内容が薄い本が多数出版されるようになったのも確かな事実だと 思う。とくに、ベストセラーの質が低下したことの影響は大きい。書き手はこの程度のことなら自分でも書けると考えるようになる。編集者も気楽に作った本が 売れると考えるようになる。その結果、安っぽい内容の本が増える傾向が増幅されていく。

 本という媒体は以前は憧れの的であった。本は高いけれども、好きな本を買うために節約しようと思えるものだった。そういう本を安い価格で提供し、読者層 を増やそうというのは、正しい考え方だったと思う。だがその結果、本という媒体は輝きを失い、肝心要の内容まで安っぽくなってしまったのではないだろう か。いま、大量に出版されている本をみると、そう思わざるをえない。

 いやそんなことはないというのなら心強い。そう考えるのであれば、実例を挙げて反論してほしい。ほんとうに歯ごたえのある優れた本が安く買えるように なっているというのなら、買って読んでみたいから。

 媒体が安っぽくなって、内容まで安っぽくなった可能性が少しでもあるのなら、逆の方向を取る動きがあらわれてほしいと願っている。活版で箱入りの堂々と した本を高い価格で売る。本という媒体の美しさと価値を再確認できるような書籍、一生読んでほしい書籍を出版する。やろうと思えばできないはずがないと思 う。
 

(2009年12月号)