モンゴルの翻訳事情(4)
北村彰秀
出版翻訳(Chinese からのものなど)

 
 前回の原稿で、「龍の子太郎」について触れたが、「竜」の字を用いてしまった。「龍の子太郎」がより正確な書名であると思うので、「龍の子太郎」と訂正 したい。ご迷惑をおかけした方々にはこの場を借りておわびしたい。
 「龍の子太郎」のモンゴル語訳旧版は1976年に出ているが、新版の訳文は旧版とほとんど変わっていない。改行の位置等が多少変わっている程度である。 また、挿絵は旧版の方がよい。原文の日本語と多少違っているところが多く、また、植物名でロシア語が出てくるので、ロシア語訳からの重訳と見てよいであろ うと思う。ロシア語版は1971年に出ているので、それから5年後の出版ということになる。原文は、子供向けながら、方言の要素もある、かなりむずかしい 文章なので、これを独力でモンゴル語に訳せるほどのモンゴル人は、いないであろうと思う。(原文が困難なためか、この作品の英訳はまだ出ていないようであ る。)
 想像上の動物や怪物等の取り扱いについては、この作品の翻訳でも多少問題があると思う。鬼はモンゴル語の、多くの場合「悪魔」と訳される単語に訳し、ま た、天狗は日本語のままとし、注を付けている。旧版の挿絵では、鬼も天狗も問題がないと思うが、新版の挿絵では、天狗は鳥の姿をしているし、鬼はまさにブ リキのおもちゃである。(民主化以前にはモンゴルには高い技術があったし、立派な職人、専門家もいたと言われる方があるが、ある面ではそのとおりであると 言わざるをえない。)また、閻魔は日本語のままである。モンゴル語には閻魔を意味するErleg という語があり、この単語を知っている人は少なくないはずである。知ってはいても、対応する日本語の単語との同定ができなかったものと思われる。
 「ホテル・ウランバートル」という本についても触れておきたい。この本は、工藤美代子著、1990年に作品社という出版社から出ているが、モンゴルの民 主化を扱ったものである。この本もモンゴル語訳が出ている。ただし、かなりお粗末な製本であり、また、字を小さくして、印刷費用を安く抑えているようであ る。
 とにかくモンゴルでは、一般のモンゴル人の平均月収に比べて本の値段が非常に高い。あまりお金のない学生のころこそ、多くの本を読まなければならないは ずである。本の著者、あるいは翻訳者としては、できるだけ立派な本を出したいと思うであろうが、普通の学生にも手の届くような本を出すという発想を、もっ と多くの方に持っていただきたいと切望する。モンゴル語訳「ホテル・ウランバートル」のような、安くあげた出版物を、わたしとしては応援したい。
 先月の原稿で紹介したトゥムルバータル氏は最近、日本の作家の作品集のモンゴル語訳を出している。これに含まれている作家は川端康成、芥川龍之介、森鷗 外などである。この本の表紙は着物を着た女性の絵であるが、あまり違和感のないものである。トゥムルバートルの本(今のところ3冊しか見ていないが)の表 紙は、いずれも悪くないと思う。彼は1997年にモンゴル翻訳者同盟の賞を受賞している。
 Chinese からの翻訳では、近代以前に訳されたものはここでは触れず、現代のものに限って述べるが、古典では、論語、大学、孫子兵法などの翻訳が出ている。以前に毛 沢東語録の内モンゴル版と外モンゴル語版が出たことがあったが、これはモンゴル国ではなく、中国の出したものである。また、最近中国で大ベストセラーに なった「神なるオオカミ」(原題は直訳すると「狼トーテム」)がモンゴル語に訳され、現在(この原稿を執筆時点で)文学部門ベストセラーの第1位である。 モンゴル語版の書名は「トーテム」という語を避け、「狼の魂(su'ld)」としている。この作品は、内モンゴルを舞台としているが、遊牧の様子などは、 外モンゴルも本質的に同じと言ってよいであろう。主人公は漢民族の青年であるが、モンゴル人の生活、習慣等を描いているため、モンゴル語訳が出るのは当然 といえば当然である。漢民族がモンゴル民族を好意的に描いているという点も注目に値する。漢民族に属する主人公は、モンゴル人の教育や医療に従事するので はなく、モンゴル人とともに遊牧生活を体験し、モンゴル人から学ぼうとする。それゆえにこそ、モンゴルにおいても、多くの読者を獲得しているものと思われ る。モンゴル語訳を読んでいると、モンゴル人が書いた小説ではないかと思われるほどであり、モンゴル人には読みやすいものになっていると思う。(日本語で は、この作品を短くした「小狼小狼」、日本名は「大草原のちいさなオオカミ」という本も出ている。)美しいモンゴルの自然、魅力的なオオカミの世界、大自 然とどう向き合うかという問題等々が書かれていて、モンゴル人にとっては、読まずにはいられない作品である。モンゴル語版では表紙の一部に著者(と思う が)の写真があり、また、著者自身が序文を寄せているというサービスぶりである。また、値段が低くおさえられているようであり、その点もありがたい。この 作品や「大草原のちいさなオオカミ」については、すでにネット上で、いろいろな紹介記事や感想が日本語で出ているので、詳しい内容についてはそちらにゆず りたいと思う。
 この作品の著者は国籍は中華人民共和国、民族は漢民族に属する。著者はまず何よりも、自国民に対し、特に漢民族に対してこの作品を提供している。それゆ えに、Chinese で書かれたことに意義があるといえよう。モンゴル語に訳されたものをモンゴル人が読む場合には、この作品はモンゴル人の誇りや、遊牧社会の伝統を扱ったも のとして読まれるであろう。また、モンゴル人やモンゴルの伝統に深い理解を示した姜戎(ジャンロン)という著者が特に注目されるであろう。しかし、漢民族 の読み方は異なってくるはずである。漢民族の読者は、例えば中国の辺境地域の文化を再評価したいと思うかもしれない。モンゴル語や日本語に訳されても、原 作のかおり高さは失われないと思うが、作品の訴えるメッセージが微妙に変わってくることは避けられないであろう。
 どんな作品であれ、翻訳という形で、あるいはそのままの形であっても、原作とは違った環境に移された場合には、原作が出版された(あるいは出版されよう とした)時期、場所、読者集団におけるその作品の与えるインパクト、作品の任務といったものをそのままの形で再現することは困難になる。もちろん説明する ことはできるが、再現することはできない。これが翻訳という仕事の1つの限界と言うべきかもしれない。「狼トーテム」もモンゴル語翻訳では、原作とは多少 異なった「狼の魂」となって生きていくものと思う。
 しかしまた、文学というものは、時代、民族や言語が違っても理解しうる共通語としての要素を備えているということも、やはり同意せざるをえない。この作 品はモンゴルを舞台とし、モンゴル民族を扱ってはいるが、この作品のテーマとしている多くの問題(ここではあえて述べないが)は、人類共通のものである。 この作品が中国、モンゴル、日本その他の国々の多くの読者に読まれることを期待したい。

付記1 
 4月号の原稿で、想像上の動物、怪物等の事典が必要と書いたため、多少責任も感じ、また、必要も覚えて、適当なものがあるかどうか探してみた。よいと思 われるものがあったのでここにあげておきたい。

キャロル・ロース著、松村一男訳「世界の妖精・妖怪事典」原書房2003年
キャロル・ロース著、松村一男訳「世界の怪物・神獣事典」原書房2004年

 この2冊には、非常に詳細な説明が含まれている。(もちろん善玉か悪玉かということも書かれている。)また、扱っている範囲は英語圏だけではなく、ヨー ロッパから China、さらにはチベットにまで及ぶ。さすがにモンゴル固有ものものは扱っていないが、モンゴル人になじみの深いインドの龍やチベットのガルダなど も、よく探してみると、出てくる。
(なお、このような本について述べるわたしの意図は、翻訳者の仕事への寄与、また、外国文化理解への寄与となればという思いであり、それ以外にないことも ことわっておきたい。)

付記2
 中国という言い方は本来、地域ではなく、国を指すものであり、過去の歴史を述べたり、いろいろな地域について述べる際には、非常に使いにくい語である。 そのため、わたしの原稿では、場合によってはあえて英語で China と記し、また、中国語も場合により、Chinese と記した。
(2011年7月号)