翻訳発注者へ
 山岡洋一

誇りこそが出発点

 
 最近、産業翻訳の発注者と話す機会があった。翻訳しなければならない文書が大量にあるのだが、引き受けてくれる翻訳会社や翻訳者が不足していて、ごく一 部しか発注できていないという。需要があるのに、供給が追いついていないというわけだ。翻訳者、とくに駆け出しの翻訳者にとって、信じがたい話だと思える かもしれない。競争がはげしくて、仕事をとるのが容易ではないと思えるはず、つまり、供給の余力は十分にあるのに、需要が不足していると思えるはずなの だ。だが、これはとくに珍しい話ではない。産業翻訳でも出版翻訳でもつねに、発注者からみれば供給が不足しているし、翻訳者からみれば需要が不足している と思える状況がある。供給と需要のミスマッチがいつもあるのだ。なぜこのような状況がいつまでも続いているのかを考えるヒントになると思えるので、発注者 の話をもう少し紹介しておこう。

 この発注者は専門性の高い文書の翻訳を必要としている。現状では、何人かの翻訳者に依頼しているが、納品された翻訳を発注部門の担当者がチェックし、つ ぎに専門家がチェックし、最終的に専門家の委員会で疑問点の解決と訳語の確定を行っている。こうして3段階にわたってチェックと修正を行った結果は、翻訳 者にフィードバックしているが、当初の訳文とはまったく違ったものになることも少なくない。確定した訳語はデータベースに登録して翻訳者に渡しているのだ が、それでもなかなか質が高まっていかない。このように手間がかかるうえ、翻訳者の数も不足しているので、発注を増やすことがなかなかできない。

 この発注者はいろいろな方法を考えているようだった。まず、少なくともチェックの段階をひとつ減らすのが目標だという。優れた翻訳があがってくれば、現 在の3段階を2段階に減らすことは可能だろう。そうなれば、処理量をもっと増やせる。そのためにはもっと優秀な翻訳者を探すのがいちばん簡単な方法だろう が、なかなかうまくはいかないという。

 すぐれた翻訳会社に依頼する方法も考えているという。訳語のデータベースをもっと拡充し、翻訳のマニュアルを整備し、それらに厳密にしたがって翻訳する よう求める。この点で違反がないかどうかをチェッカーが点検し、違反があれば、翻訳者に修正を求め、場合によっては翻訳料金を減額する。そういう仕組みが しっかりしている翻訳会社に依頼すれば、もっと質の高い翻訳があがってくるようになるのではないだろうかという。要するに、管理を強化して品質の向上をは かる方法である。

 こうした話を聞いているうちに、どこにもある問題だとは思いながらも、何かが変だと感じるようになった。個人的な経験からいうなら、専門性の高い文書ほ ど、じつは訳しやすい。もちろん、内容を理解しなければ訳せない。そして、内容を理解するのは簡単ではない。簡単なら、その分野の専門家が高収入を得られ るはずがない。でも、書いているのは同じ人間だし、この場合なら、翻訳をチェックしているのも同じ人間だ。読者も同じ人間である。だから、理解できないは ずはない。もちろん、時間はかかる。しかしこの場合、仕事はこなせないほどあるというのだから、翻訳者の側からみれば、ある程度の時間をかけて学ぶ理由が 十分にある。ここまで好条件が揃っているのに、翻訳の質が高まっていかないのは、逆に不思議ではないだろうか。この仕組みを続けて数か月から1年もすれ ば、翻訳者からあがってきた原稿をそのまま使えるようになっても不思議ではないと思えるのだが。

 そこで、いくつかの点を質問してみた。まず翻訳料金の決め方、つぎに単価、翻訳者の推定処理量などである。発注しているのはほぼすべて英和翻訳であり、 仕上がり400字当たりの単価を取り決めて支払っているという。それに1日当たりの推定処理量を掛けて20倍すると、月当たりの収入が分かり、それを12 倍すると、年間の収入が分かる。そうやって、在宅翻訳者の収入がほぼ分かった後、初任給を聞いてみた。専門家ではない事務員の大卒初任給は、ほぼ世間相場 並みのようだった。専門家の卵の場合には、初任給がはるかに高い。そのうえ、実力のある専門家なら、短期間のうちに高額所得者になる。高給の専門家が時間 をかけて翻訳をチェックしなければならないのですから、大変ですという。

 そうやって比較してみても気づかない様子なので、ずばりと指摘することにした。翻訳者の手取りはたぶん、事務員の大卒初任給にも及ばない。時給に換算す れば、最低賃金にも及ばないかもしれない。いや、大卒初任給よりはよい計算になるし、それに在宅ですから、と発注者はいう。だが、在宅の請負ということ は、機器などの設備から事務所費まで、すべて自分持ちということだ。すべて雇い主負担の事務員とは違って、かなりの経費がかかる。翻訳者の収入というのは 会社でいえば売上であって、実際に使えるのは経費差し引き後の所得だ。手取りといったのは、この経費差し引き後の所得のことだと説明した。そして、仕事は 所得だけで判断できるものではないが、そう主張できるのは、受け取る側だけのはず。支払う側はいくら支払っているかで、相手への評価を示している。この発 注者の場合、翻訳者を大卒の新人よりも低く評価しているのである。そういうことになりませんかと質問すると、反論できないようだった。

 これでは、どんな方法をとるにしても、小手先の手段ではうまくいかない。基本的な部分を変えなければいけない。少なくとも、変えるよう努力しなければい けない。そう思えた。

 この発注者は翻訳者がそのまま使える完全原稿を納品するはずだとは考えていない。翻訳者は専門知識がないので、専門家がチェックして改訂しなければ使え るようにはならないと考えているのである。この場合、翻訳者という言葉は適切ではない。実際の役割は下訳にすぎないのだから、下訳者と呼ぶべきである。最 終的なチェックを行い、原稿を完成させている専門家が、いわば元訳者になっている。そして、翻訳の料金からチェックの過程まで、すべての点が下訳者と元訳 者の関係にふさわしい形で組み立てられている。

 たとえば、翻訳料金は安く、翻訳者は経費を差し引いた後でみて、まともな生活ができるとは思えない所得しか得られない。配偶者か親が稼いでいるから人並 みの生活ができるにすぎない。所得という点で、一人前として扱われていないのである。また、フィードバックは一方向でしかない。専門家による改訂や訳語の 選択に対して、翻訳者の側が意見を述べるとは考えられていない。翻訳者は専門家の指示に黙って従うものだと考えている。

 翻訳者を下訳者として扱っているのだから、下訳者レベルの人しか残らない。もっと上を目指す人、実力がついた人はどんどん抜けていく。だから、下訳レベ ルの翻訳があがってくるのは当然なのだ。

 だが、この点を理解するのは容易ではないようだ。たとえば、内容については専門家がチェックするので、英文の解釈という点で間違いのない翻訳をするよう 翻訳者にお願いしているが、肝心要の英文の解釈を間違えている翻訳が多いので困っているという。この発注者は、内容を十二分に理解しないかぎり、英文を正 しく解釈することは不可能だという事実に気づいていないようだ。内容の理解と英文の解釈は表裏一体であり、切り離すことはできない。この2つの側面で分業 が成り立つような性格の仕事ではない。だから、翻訳者であれば、原文の意味を十二分に理解したうえで、完全な原稿を書こうと努力するはずだ。内容の理解の 部分は専門家にお任せしたいと考えているのであれば、その人は翻訳者ではない。下訳者にすぎない。

 管理を強化する方法で品質の向上を目指そうとしているのも、翻訳と翻訳者に対する無理解のためだ。訳語を決め、翻訳マニュアルを整備するといった方法は おそらく逆効果になる。マニュアルというのは戦後のある時期から、なぜか、アメリカの先進性と日本の後進性を象徴するものだと受け止められるようになっ た。それ以来、一種の強迫観念になっている。だから何か問題が起こるとすぐに、マニュアルが整備されていないという話になる。だが、マニュアルを整備して 管理を強化するという考え方は、肉体労働と頭脳労働の分業に基づくものだ。アメリカでは、現場の労働者は工場に入るときに、守衛に頭を預けておくといわれ ていた。現場の労働者は頭脳を使う必要はない。考えるのは上の人間の仕事だ。頭のいい人が考えた結果はみな、マニュアルに書いてあるので、その通りに仕事 をすればよろしい。マニュアルに違反したときに何が待っているかは分かっているだろうね、というわけだ。製造業でも時代後れとされているこういう文化のな かで生まれたマニュアルが、翻訳という仕事に適しているかどうか、考えてみるべきだろう。

 このように、翻訳者を下訳者として扱っているから、下訳者レベルの人しか残らないのだが、この点は、発注者にとってなかなか理解できないのかもしれな い。発注者という立場上、上下関係の感覚が抜けきれない場合が多いからだ。そのうえ、上下関係の感覚は下の立場からみればよくみえるが、上の立場からはな かなか意識できないので、じつに厄介だ。

 それはともかく、発注者の立場からは、翻訳者の利点がどこにあるかをみきわめることが大切だと思う。少し考えればすぐに分かることだが、翻訳という仕事 を選ぶのは、楽に稼げる仕事だと考えているからではない(もちろん、そういう人もいるかもしれないが、現実に気づけばすぐに辞めていく)。苦労が多いわり に実入りが少ない。それでも続けているのは、翻訳という仕事そのものに魅力を感じているからだ。収入よりも仕事の魅力を優先するのでなければ、長続きはし ない。だから、翻訳者はたいてい、向上心が強い。もっともっと実力をつけて、もっといい仕事がしたいと考えている。熱心に学んでいる。発注者からみれば、 心強い利点だ。この利点を活かさない手はない。

 ではどうすればいいのか。具体的な方法は、現状がもっとくわしく分からなければ提案できない。しかし、一般論としてなら、いくつかの点を指摘できると話 した。

 いちばん重要な点は、翻訳者が誇りをもって仕事に取り組める環境を作ることだろう。発注者の立場で、そのために真っ先に考えるべきは、翻訳者の収入がは るかに増えるようにすること、少なくとも、もっと質を高めれば増えると見込めるようにすることだ。手取りで大卒初任給にも及ばないのが現状なら、何パーセ ントか増えると見込めるようにするのでは不十分だ。たぶん、何倍にも増えると見込めるようにするべきだろう。そうする理由は簡単だ。現在の収入では、仕事 に誇りをもてるはずがない。何か月か何年続けて実力がついた人は、もっと収入のよい仕事に移っていく。下訳者の力しかない人だけが残ることになる。だか ら、発注者の側はいつまでも、質の低い翻訳に苦しむことになる。この泥沼から抜け出すには、ほんとうに優れた翻訳者、専門的な内容にも責任を負う翻訳者、 そのまま使えるほど質の高い翻訳ができる翻訳者を維持し、引きつけられるようにしなければいけない。要するに、翻訳者に期待する質をはるかに高く設定し、 それにふさわしい料金を支払うようにするべきなのだ。

 専門的な内容にまで責任を負うよう翻訳者に求めるのは無理だと思えるかもしれない。ほんとうに優秀な人たちが最低でも2年から3年、ときには5年以上も 必死に学んでようやく卵になれるにすぎないほど難しい専門分野なのだから。だが、翻訳者に期待する質を高く設定し、それにふさわしい料金を支払っていれ ば、たぶん、数か月から1年もするとほんとうに優れた翻訳があがってくるようになるのではないだろうか。なぜかというと、翻訳者は違った学習方法を使うか らだ。翻訳者に独特の学習方法とは、翻訳を行うことである。翻訳にあたっては普通の読書や学習の際とくらべて、ときには10倍も深く原文を読む。それに、 原文に理解できない点があれば、訳文は書けないので、周辺知識や基礎的な知識を真剣に学ぶ。だから翻訳とは、学習の過程なのであり、しかも、たいていの学 習法よりはるかに密度の濃い学習なのである。だから、同じ分野の翻訳を数か月も続けていれば、翻訳者の力は飛躍的に高まる。

 だが、翻訳が学習になり、翻訳の質を高める決め手になるのは、原著者が伝えようとした意味を母語で伝えることに、翻訳者が専念しているときだけである。 専門的な内容については専門家に任せておけばいいのであれば、翻訳を行ってもそれほど効果的な学習にはならない。翻訳には本来、知らなかったことを知り、 理解できなかったことを理解していくという楽しむと喜びがあるのだが、意味が分からないくてもいいから訳していくのでは、翻訳は苦痛でしかなくなる。これ では翻訳の質は高まっていかない。だから、翻訳者に期待する質をはるかに高く設定し、それにふさわしい料金を支払うようにするべきなのだ。

 それ以外の点はいわば、枝葉末節にすぎない。たとえば、翻訳者がどれほど優秀でも、間違うことはあるのだから、チェックを完全になくすことはできない。 そこで、他の翻訳者にチェックを依頼する方法を考えることもできる。これは専門家の間でごく普通に使われている方法なので、おそらく、発注者にとって馴染 みがあるはずである。また、翻訳者が内容の理解に苦しんだときに相談にのってもらえる専門家を決めておけば役立つだろう。疑問点や問題点を解決し、訳語を 確定する委員会には、翻訳者の代表を加えるべきだろう。確定した訳語のデータベースの作成は、翻訳者のグループに任せる方がいいかもしれない。

 前述のように、専門性の高い文書の翻訳はじつのところ、質を高めていくのが比較的やさしい。内容をしっかり理解すれば、質を高めることができる。だか ら、しっかりとした仕組みを作れば、問題を解決するのはそう難しくないはずだ。難しいのは、発注者が上下関係の感覚を払拭することかもしれない。
 
 (2008年8月号)