辞書とコーパス


次世代の英和辞典

英和コーパスを作成する理由


 1972年に出版された『新明解国語辞典』には、「新たなるものを目指して」と題した序文がある。最近の第4版や第5版にはこの序文が掲載されていないようなので、簡単には読むことができない。そこで、一部を引用してみよう。
 

 思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に在るのではないか。先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮、芋辞書の域を出ない。その語の指す所のものを実際の用例について よく知り よく考え 本義を弁えた上に、広義・狭義にわたって語釈を施す以外に王道は無い。辞書は引き写しの結果ではなく、用例蒐集と思索の産物でなければならぬ。


 1972年という時代の雰囲気も背景になっていたのだろうが、なんとも凄まじい序文である。既存の国語辞典をすべて「芋辞書の域を出ない」と切り捨てているのだから。

 既成の権威に対してここまでの悪口雑言を並べるからには、反発と非難を覚悟しておかなければならない。意地の悪い批判に耐えられるだけの内容が辞書になければならない。ここまで言い切った山田忠雄は只者ではないといえるはずである。

 それはともかく、山田が主張した点はそのまま、既存の英和辞典に対する不満の言葉にもなりうるものである。

 英和辞典がどのようにして作られているのか。何種類かの英和辞典を並べてみてみれば、一目瞭然である。先行の英英辞典と英和辞典を数冊机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成しているに違いない。語義を分析して語釈を施すどころか、先行の英和辞典から取捨選択した訳語が並んでいるだけである。用例はあまりに貧弱であり、それも、先行の英英辞典から選んだものか、英米で作成されているコーパスから取捨選択したものにすぎない。

 まともな英和辞典を編集しようとするなら、英和辞典は英英辞典とは読者が違い、したがって性格が違うという当たり前の事実から出発しなければならない。

 英英辞典は英語という世界のなかで、英語の単語や連語の意味をあきらかにしたものである。これに対して英和辞典は、日本語を母語とする読者のために、日本語で考えたときに英語の単語や連語がどのような意味をもっているかをあきらかにするものでなければならない。日本語の観点から英語の単語や連語の語義を分析するのでなければ、英和辞典とはいえないはずである。

 現実にある英和辞典は、英語訳語辞典にすぎない。語義を分析した結果ではなく、語釈を施してもおらず、訳語を並べただけのものだからだ。そして、英和辞典で唯一の売り物といえる訳語はどうかというと、これも「十種一様であり、千篇一律」(『新明解第4版』序文)になっている。死語が多く、生きた語が少なく、誤りが延々と受け継がれていく。

 英和辞典を使うのは、日本語を母語とする読者であり、したがって、日本語の観点から英語の単語や連語の語義を分析するのが、英和辞典の本来の役割のはずである。この認識を出発点にするなら、英和辞典の編集の方法は根本から変わらなければならないはずである。

 まず、英英辞典は参考にはなるが、参考以上のものにはならない。日本語という観点から英語の世界を分析する視点がなければ、英和辞典は編集できない。つぎに、英語の用例をたとえ数千万集めても、参考にはなるが、参考以上のものにはならない。日本語の用例を蒐集する作業が、英語の用例の蒐集(あるいは購入)と変わらないぐらい重要なはずである。できれば、英語と日本語が対になっている用例を蒐集するべきだ。

 英和辞典の世界の「前近代的な体質と方法論の無自覚」から脱却するには、「用例蒐集と思索」が是非とも必要になっているはずである。
 

 もちろん、このような英和辞典を編集する作業が現実にできると考えているわけではない。山田忠雄は「十余年の歳月は……一日として休む日は無かった」と書いており、本格的な英和辞典であれば、それ以上の歳月を要するであろう。それに、時間をかければいいというものではない。辞書は「思索の産物でなければならない」が、凡人が時間をかけても「馬鹿の考え休むに似たり」という結果になるのが世の常である。

 しかし、現実的に可能な部分もある。それは、用例蒐集の部分である。幸い、世の中には素晴らしい翻訳家が何人もおり、そういう翻訳家の訳書と原著を入手するのは、じつに簡単である。訳書と原著を突き合わせていけば、既存の英和辞典では望めないほど豊富な訳語、生きた表現を探し出すことができる。

 英和コーパスを作成しているのはこのように考えた結果であり、「英和コーパス形容詞・副詞編」は、現時点で集まっている訳語と用例のなかから、とくに面白いものを選んだ結果である。これが、英和辞典の新たなるものを目指す第一歩になるよう望んでいる。

『翻訳通信』第1期98年11/12月号より
 

『翻訳通信』のホーム・ページに戻る