翻訳を翻訳する
河原清志
翻訳とは何か―研究としての翻訳
 
 翻訳通信の主宰者である山岡洋一氏は、主要著作である『翻訳とは何か―職業としての翻訳』(日外アソシエーツ)において、「翻訳とは学び、伝える仕事で ある」(p. 100)とし、そのことを前提に「職業としての翻訳」(第6章)を論じている。また、「ある民族が別の民族から学ぶ一助になるのが翻訳なのである」(p. 275)とし、「文化としての翻訳」(最終章)を論じている。そして結論として、
「明日の日本文化を支える基盤を築く一助になるのが翻訳」であり、「翻訳[は]副業でも余技でもなく、職業として取り組むべきものである」と主張している (p. 279)。長年に亘り、翻訳に魂を注入し、翻訳と格闘してきた、まさに「戦う翻訳家」の異名をつけたい翻訳家の深淵な言葉である。
 これはプロの翻訳者から見た「翻訳」の意味空間を表象した言葉であり、研究の視点から見た「翻訳」には、別の意味空間が広がっている可能性がある。そこ で本稿は、「翻訳を翻訳する」と題して、「研究としての翻訳」の意味空間を論じてみたい。

翻訳とは―“translate A as B”
 一般的に、翻訳はある言語を別言語に訳す作業であり、ある言語のAという表現を別の言語のBという表現に表す場合を、“translate A as B”と表現できる。ここで大切なポイントは、“as”は「等価(equivalence)」が中核的意味であり(河原2008)、本来、記号Aと記号Bの 意味(価値)は異なるが、「等しい(equal)価値(value)のものと看做して」訳すことが翻訳であり、翻訳の本質は価値付け行為であることであ る。つまり、翻訳は単なる言語変換行為(言語行為)のみならず、社会的・文化的・歴史的・政治的その他さまざまな価値観によって意味づけされる言葉を、訳 出行為を行う者が主体的に選択し決断する社会行為でもあるといえる。
 そうであるならば、翻訳行為に「学び、伝える」、あるいは「日本文化を支える基盤」という社会的価値を見出し、「プロとしての翻訳家」が主体的な価値付 けを行って翻訳行為を実践することは、ひとつの重要な価値付けの賜物ではあるが、別のコンテクストで別の主体が翻訳行為を行う場合、異なった価値付けで翻 訳行為に臨んでいることもあろう。
 そこで、これまでの翻訳に関する理論研究を検討して、翻訳にどういう価値付けが行われているか、翻訳が(全)人類にとっていかに多様な作用・機能・役割 を担っているかについて検討してみたい。

翻訳とは―“translation as X”
 前節では翻訳の本質を“translate A as B”という価値付け行為であるとしたが、翻訳の本質に迫る別の方法として、翻訳の背後に潜むメタファーを抽出するやり方がある。
 一般に、“as”は「等価(equivalence)」が中核的意味であり(“like”は例示)、「A as (like) X/Xとしての(のような)A」で表現されるレトリックを直喩、「A be X/AはXである」と表現されるレトリックを隠喩(メタファー)と呼ぶ。ここで“be”はBE動詞であり、存在や説明を中核的語義とするが、この「A be X/AはXである」という言語表現には記述文・定義文・隠喩文の3つの機能があり(田中2000)、特性記述や操作定義のみならず、隠喩(メタファー)を 表出する表現でもある。
 山岡氏の表現では、「職業としての翻訳」、「文化としての翻訳」は直喩に当たり、山岡氏は翻訳を職業と看做し、翻訳は文化であるという価値付けを行って いるのである。また、「翻訳とは学び、伝える仕事である」、「明日の日本文化を支える基盤を築く一助になるのが翻訳」、「翻訳[は]副業でも余技でもな く、職業として取り組むべきものである」は記述ないし(広義での)隠喩に当たる。まさに翻訳をそのようなものと看做し、それを言語化することによって、翻 訳の本質に迫ろうとしているのである。
 そうであるならば、これまで多くの翻訳理論家が紡ぎ出してきた「○○としての翻訳」とか「翻訳(と)は○○である」、あるいは「○○としての翻訳者」と か「翻訳者(と)は○○である」という言説を多く収集し、分析・体系化することで、「翻訳」という概念に潜むメタファーを詳らかにし、多元的・多面的・多 義的な「翻訳」という概念の本質に迫ることには大きな意義があるだろう。

翻訳とは―翻訳実務家(実践家)の視点
 有名な標語としては、“Traductore, traditore.”(ラテン語)、“Traduttore, traditore.”(イタリア語)があり、これは翻訳不可能性(untranslatability)を語る翻訳への否定的な評価を伴った謂いである が、同時に、翻訳がどうしても原文を裏切らざるをえないのであるならば、いかに上手に裏切るかが翻訳者の使命でもあるという積極的な創造性を語る謂いとも 解釈される。あるいは、別宮貞徳氏は「芸術としての翻訳」として演奏とのアナロジーについて論じているが(別宮1975)、これも翻訳の創造性について語 ろうとしている謂いである。逆に、中村保男氏は「翻訳は創造か」というテーゼをめぐって、「翻訳者は単なる仲介者または紹介者ではなく、文学思潮の先端を 行く啓蒙家」であり「原作者の思想の解説者であり、ひいては代弁者でさえある」という主張を退け、「翻訳は原作をなぞる行為なのであるから創造ではないの だ」、「いわば“第二芸術”」であると論じている(中村1973)。他方、清水幾太郎氏は「翻訳者は仲介役」と題して「翻訳者は外国の著者と日本の読者と を結びつける仲人のようなもの」と論じており(清水1995)、翻訳の創造性については言及していない。
 このように、翻訳実務家(実践家)が自らの翻訳行為について内省的に論じることには、経験に裏打ちされた信頼性はあるものの、客観的かつ妥当な確固たる 分析手法が欠如したまま主観的に論じている面もあるため、Karl R. Popper氏が唱える反証可能性(falsifiability)がなく(Popper 1959)、非科学的であると言わざるを得ない。尤も、メタファーはかような個人の内面における主観的意味空間の表出であり、反証に馴染まないものかもし れないが、往々にしてかような主観の表明はGiddeon Toury氏の言葉を借りれば「部分的で偏向しており、極めて慎重に取り扱わなければならない」(Toury 1995, p. 65)ことも確かである。
 そこで、分析の方法論が制度的に担保さている(と想定される)翻訳理論家(研究者)による分析を本稿では取り上げてみたい。

翻訳とは―翻訳理論家(研究者)の視点
 学問としての翻訳の捉え方が、実務としての翻訳の捉え方と決定的に異なるのは、それを分析する視点が俯瞰的、体系的かつ多様であることが挙げられる(時 として偏狭的な視点のものもあるが、その偏狭性の背景にある社会的コンテクスを読み込むとその主張の真意が分かって面白い)。筆者が見るところ、学問とし ての翻訳は、以下の8つの大きな多様性の視点に支えられているように思う。箇条書きで示してみよう。

【翻訳学における8つの多様性】
(1)「翻訳」概念の多様性:何を翻訳とするか?
翻訳の定義、射程、類似概念との峻別:trans-literation、 adaptation、appropriation等
(2)「翻訳」の対象の多様性:何を翻訳するか?
文学、新聞、広告、映画、ウェブ情報等から、非テクスト情報・出来事まで
(3)「翻訳」言語と文化・社会の多様性:何に/から翻訳するか?
メジャー言語(英語)、マイナー言語:言語覇権と言語エコロジーの問題
(4)「翻訳」方法の多様性:何の道具で翻訳するか?
CAT(翻訳メモリ、機械翻訳)等
(5)「翻訳行為」の「主体」の多様性:だれが翻訳をするのか?
プロの翻訳者、他分野におけるノンプロによる翻訳行為、素人の翻訳行為
(6)「翻訳」研究の対象の多様性:何を翻訳研究の対象にするか?
テクスト(翻訳物そのもの)、文化・社会(翻訳行為がなされるミクロおよびマクロ・コ ンテクスト)、翻訳者自身(翻訳者のライフ・ヒストリーやハビトゥス)等
(7)「翻訳」研究の手法の多様性:何の分野から翻訳を研究するか?
言語学、社会学、哲学、文学、心理学、脳科学、ポスト・コロニアリズム等
(8)「翻訳」研究の担い手の多様性:どこの研究者が翻訳を研究するか?
ヨーロッパ、南北アメリカ、アジア、オセアニア、アフリカ:decentering、 deEuropeanizationの問題、非自民族中心主義的翻訳理論の可能性

 これ以外にも多様性の局面はあるだろう。いずれにしても、これほど翻訳空間が多様な広がりを見せている現代においては、十把一絡げに「翻訳とは何か」 を、一元論的には論じ得ないと言えよう。人類にとっての翻訳の社会的意義はそれほど多様だと言える。
 そこで、上記8つの論点をできるだけ網羅し展開する形で、筆者の目に留まった先行研究をできるだけ多く取り上げて、翻訳をめぐるメタファーから翻訳の本 質論に迫る論稿をシリーズ化して投稿したいと考えている。
 今回は「翻訳通信100号」を記念して、本稿「翻訳とは何か―研究としての翻訳」の総論めいたことを記したが、予告として今後取り上げる翻訳をめぐるメ タファーを若干列挙してみたい(断りがない場合は翻訳は筆者による)。次号以降で、翻訳をめぐるメタファーとその説が拠って立つ視点の社会的コンテクスト や学説状況を体系的に分析してゆきたいと考えている。

【翻訳学における翻訳メタファー:翻訳本質論】

■翻訳とは―記号論・言語学からの視点

(Jakobson 1959/2000, p. 139)
(1) Intersemiotic Translation: 記号間翻訳(ある記号を別の記号で表現する)
(2) Interlingual Translation: 言語間翻訳(ある言語を別の言語に翻訳する)
(3) Intralingual Translation: 言語内翻訳(ある言語内で言い換えをする)
・言語間翻訳は、ある言語のメッセージを別の言語の個々のコード・ユニットで置き換えるのではなく、メッセージ全体で置き換えることである。

■翻訳とは―翻訳の創造性とイデオロギー性からの視点
Tymoczko & Gentzler 2002, p. xxi)
翻訳とは、単なる忠実な再現行為ではなく、むしろ選択、組み合わせ、構造化、模造とい う意図的で意識的な行為である。そして時として、改ざん、情報の拒絶、偽造、暗号の創造ですらある。このように、翻訳者は想像力豊かな作家や政治家と同じ ように、知を創造し文化を形成するという権力行為に参画している。

■翻訳とは―ニュース翻訳からの視点
(Bielsa & Bassnett 2009, p. 63)
ニュース翻訳では、ジャーナリストは目標言語のメディアの規則や慣行に従ってそのコン テクストに合致するようにテクストをリライトしなければならない。これには起点テクストの変容が相当程度伴い、結果として目標テクストの内容が大きく変 わってしまう。他方、ニュース翻訳のプロセスは編集プロセスとそれほど違うものではなく、ニュース記事がチェックされ、修正・訂正され、洗練されて発表さ れるのである。

■翻訳とは―翻訳指導からの視点
(Newmark 1981, p. 39、訳はマンデイ2009準拠)
・翻訳は「技芸(art)」(意味重視の翻訳の場合)、「技術(craft)」(コ ミュニケーション重視の翻訳の場合)である。
・コミュニケーション重視の翻訳は、翻訳の読者に、オリジナルの読者が得たのとできる限り近い効果を与えようとする。意味重視の翻訳は、第二の言語[目標 言語]の意味的・統語的構造が許す限りできるだけ近いかたちで、オリジナルの正確な文脈的意味を訳そうとする。

■翻訳とは―翻訳ストラテジーからの視点
(Vinay & Darbelnet 1995, p. 16、訳はマンデイ2009準拠)
翻訳者の役割は、使える選択肢の中から選択して、メッセージのニュアンスを表現するこ と。

■翻訳とは―関連性理論からの視点
(Gutt 1991/2000、訳はマンデイ2009準拠)
翻訳とは推論(inferencing)と解釈の因果モデルに基づくコミュニケーショ ンの一例である。

■翻訳とは―行為理論からの視点
(Holz-Mänttäri 1984、訳はマンデイ2009準拠)
言語間翻訳は「起点テクストからの翻訳行為」であり、一連の役割や関係者が関与するコ ミュニケーション過程として説明される。

■翻訳とは―目的・機能理論からの視点
(Reiß & Vermeer 1984/1991, p. 66、訳は藤濤2007準拠)
翻訳は、コミュニケーションを別言語で引き継ぐものではなく、先行するコミュニケー ションについての新たなコミュニケーションである。

■翻訳とは―テクスト分析からの視点
(Nord 1988/2005、訳はマンデイ2009準拠)
・記録としての翻訳は「原著者と起点テクストの受け手との間で、起点文化コミュニケー ションの記録としての役割を果たす」。
・道具としての翻訳は「目標文化の中での新たなコミュニケーション行為において、自立したメッセージを伝達する道具としての役割を果たす」。

■翻訳とは―規範論からの視点
(Toury 1995, p. 13、訳はマンデイ2009準拠)
翻訳はまず何よりも目標文化の社会・文学システムの中に、ある位置を占めるものであ り、この位置がどのような翻訳方略を採るかを決定する。

■翻訳とは―文学翻訳からの視点
(Lefevere 1992, p. 9、訳はマンデイ2009準拠)
翻訳は、誰が見てもはっきりと分かる書き換え(rewriting)の典型である。そ して[...]翻訳は、最も大きい影響力を秘めている。なぜなら、翻訳は作者やその作品のイメージを、原文の文化の境界を越えて映し出すことができるから だ。

■翻訳とは―フェミニズムからの視点
(Gauvin 1989, p. 9; Simon 1996, p. 15、訳はマンデイ2009準拠)
私の翻訳実践は、女性に資するために言葉を語らせることを目的とする政治的な活動であ る。したがって、翻訳に私の署名をすることは以下を意味する。この翻訳では、言語において女性の存在を目に見えるものとするために、あらゆる翻訳方略を活 用している。

■翻訳とは―ポスト・コロニアリズムからの視点
(Niranjana 1992, p. 2、訳はマンデイ2009準拠)
実践としての翻訳は、植民地主義のもとで機能する非対称的な権力関係を形作ると共に、 その中で自らを具体化していく。

■翻訳とは―ポスト・コロニアリズムからの視点
(Wolf 2000, p. 142、訳はマンデイ2009準拠)
翻訳者はもはや異なる二つの極の仲介者ではなく、翻訳者の活動は差異を内包する文化的 重なりの中に刻みこまれるものである。

■翻訳とは―アイルランドからの視点
(Cronin 1996, p. 49、訳はマンデイ2009準拠)
文化レベルでの翻訳は、領土レベルでの翻訳に対応する。前者はイングランド文化の受容 であり、後者は住民の強制的な退去と移動を意味している。

■翻訳とは―イデオロギー論からの視点
(Levine 1991, p. 3、訳はマンデイ2009準拠)
翻訳は批判行為であるべきで[...]、疑義を呈し、読者に疑問を投げかけ、原文のイ デオロギーを再コンテクスト化するものであるべきだ。

■翻訳とは―解釈学的運動からの視点
(Steiner 1998, p. 413、訳はマンデイ2009準拠)
良い翻訳とは[...]、不可入性と侵入との、そして手に負えない異質さと「安住感」 との対立が、決着のつかないままに、しかし表情豊かに残るような翻訳である。

■翻訳とは―翻訳哲学からの視点
(Benjamin 1969/2004, p. 81、訳はマンデイ2009準拠)
真の翻訳とは、訳文を透けて輝き出るものであり、原作を覆い隠すこともなく、原作の光 を遮るものでもない。そうではなく、翻訳という固有の触媒によって強められた分だけ、いよいよ豊かに純粋言語の影を原作の上に落としかける。これは、とり わけシンタックスを移すという形での逐語性によって可能となる。語が、文でなく語こそが、翻訳者の仕事の原要素であることが示される。

■翻訳とは―人類学からの視点
(真島 2005, p. 10, p. 34)
・喩としての翻訳。[...]情報伝達にさいして情報の発信者と受信者が個別に遂行す るのは、つねに一種の翻訳行為―自己の「内面」の翻訳、および情報媒体の翻訳―である以上、いかなる言表、伝達、解釈であれ、それは一種の「翻訳」と解さ れてきた。
・翻訳とは単に「主体」を発見しあるいは棄却するための喩である以上に、[...]「主体」を両義的に、つまりみずからのうちに他者の痕跡がつねに織り込 まれ読み取られる場、能動と受動の拮抗をはらんだ間テクストの場として問いなおしていくための特権的な喩にほかならない。

■翻訳とは―ドイツ・ロマン主義からの視点
(ベルマン 2008, p.13, pp. 15-16, p. 379, p. 380, p. 382、訳は藤田省一氏による)
・翻訳において忠実と背信が絶えず問題となるのは確かである。「翻訳するとは」、フラ ンツ・ローゼンツヴァイクは書いている、「二人の主人に仕えることだ」。これが召使の譬喩である。翻訳者は原作・原著者・外国語(一番目の主人)に仕える とともに、読者・自国語(二番目の主人)にも仕えなくてはならない。ここに、翻訳家の悲劇とでも呼びうる状況が生じることになる。
・ところで、翻訳はここで両義的な位置を占めることになる。一方でそれは、[...]他文化の我有化と還元という厳命に服し、自ら進んでその手先となりも する。かくして自民族中心主義的翻訳、あるいは「誤った」翻訳と呼べるだろうものが産出されることになる。だが他方で、翻訳行為の倫理的狙いはそのような 命令と本質的に背馳するものだ。翻訳の本質とは、開け、対話、混血、脱中心的運動たることだからである。翻訳は関係づける。さもなくばそれは何ものでもな い。
・知の新たな対象としての翻訳―このいい方にはふたつのことが含意されている。まず、経験そして具体的作業として翻訳は、諸言語や諸文学、諸文化、交換や 接触の諸作用についての固有の知をもつものである。この固有の知を明示し、分節化し、この領域の関わる他の様態の知や経験と比較検証する必要があろう。つ まりその意味において翻訳はむしろ知の主体、知の起点ならびに起源とみなされなくてはならないということだ。
・諸言語・諸文化の相互コミュニケーションの一特殊事例でありながら翻訳は、同時にそうしたコミュニケーションそれぞれのプロセスに対する特権的なモデル でもある。
・文学のそれであれ、哲学や人文科学のそれであれ、翻訳の果たす役割はただ受け取って伝えるだけ(transmission)にとどまりはしないというも のだ。傾向としてはそれは伝達どころか、あらゆる文学、あらゆる哲学、そしてあらゆる人文科学の創設を司るものなのである。

■翻訳とは―紛争解決のためのナラティヴ理論からの視点(Baker 2006, pp. 1-2)
・翻訳と通訳は戦争という制度の一部であり、したがって、主戦論者から平和活動家に至 るあらゆる当事者による紛争を管理する点において大きな役割を果たしている。
・翻訳と通訳はさまざまな点で紛争の展開の仕方を形づくることに関与している。第一に、[...]宣戦布告は結局「言語行為」である。明らかに、言葉によ る布告は他方当事者にその言語で伝えられなければならない。[...]第二に、ひとたび宣戦布告がなされたら、それに関連する軍事作戦は言語活動を通じて のみ始まり、継続される。[...]第三に、軍人のみならず文民までもが戦争を開始し支持するように動員されることになる。[...]最後に、戦争がひと たび進行すると、紛争終結の仲介や管理をする試みがなされるが、それは典型的には秘密裏の交渉だけでなく、会合、会議、公開セミナーの形が取られ、これに は翻訳者や通訳者の仲介が必要である。[...]おそらく上記のことより重要なのは、翻訳と通訳はそもそも暴力的な紛争のための知的、道徳的な環境を作る ナラティヴ(物語)を伝え広め、かつそれに抵抗するために必要不可欠なのである。問題となっているナラティヴが直接紛争や戦争を表していない場合でもそう である。

 その他、際限なく翻訳についてその本質論を多様な視点から論じている学説が多岐に亘って展開されている。
 ここでひとつ、ジョルダーノ・ブルーノによる1603年の言葉を引用しておきたい。
(ベルマン2008, p. 382)
すべての学問は翻訳からおのおのの子を授かったのだ。

まさに、翻訳学という学問も翻訳によって日本でも展開され、翻訳によって日本から発信されることが今後期待される。翻訳の意義は、翻訳実務家・翻訳理論家 だけでなく、一般の人々にとってもますます増大すると言える。

参考文献
Baker, M. (2006). Translation and conflict: A narrative account. London/New York: Routledge.
別宮貞徳(1975)『翻訳を学ぶ』八潮出版社
ベルマン, A..(著)・藤田省一(訳)(2008)『他者という試練:ロマン主義ドイツの文化と翻訳』みすず書房[原著:Berman, A. (1984). L’épreuve de l’étranger: Culture et traduction dans l’Allemagne romantique. Paris : Éditions Gallimard.]
Bielsa, E. and Bassnett, S. (2009). Translation in global news. London/New York: Routledge.
藤濤文子 (2007) 『翻訳行為と異文化間コミュニケーション―機能主義的翻訳理論の諸相―』松籟社
Jakobson, R. (1959/2004). ‘On linguistic aspects of translation’. In Venuti, L. (Ed.). (2004). The translation studies reader. 2nd edition. London & New York: Routledge.
河原清志(2008)「ことばの意味の多次元性:“as”の事例分析」立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科提出修士論文
真島一郎(編)(2005)『だれが世界を翻訳するのか:アジア・アフリカの未来から』人文書院
マンデイ, J.(著)・鳥飼玖美子(監訳)(2009)『翻訳学入門』みすず書房[原著Munday, J. (2008). Introducing Translation Studies. London : Routledge.]
中村保男(1973)『翻訳の技術』中公新書
Popper, K.R. (1959). The logic of scientific discovery. London/New York: Hutchinson.
清水幾太郎(1995)『私の文章作法』中公文庫
田中茂範(2000)「『AはBである』をめぐって : 記述文・定義文・隠喩文の基本形式」山田進・菊地康人・籾山洋介(編)『日本語:意味と文法の風景:国広哲弥教授古稀記念論文集』ひつじ書房:15-30 頁
Toury, G. (1995). Descriptive translation studies and beyond. Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins.
Tymoczko, M. & Gentzler, E. (Eds). (2002). Translation and power. Amherst & Boston: University of Massachusetts Press.
山岡洋一(2001)『翻訳とは何か―職業としての翻訳』日外アソシエーツ