100号によせて
 山岡洋一
「翻訳通信」の歩み

 
「翻訳通信」は今月号で第U期第100号になりました。第1号は2002年8月号ですから、8年にわたって発行してきたことになります。2400人を越え る熱心な購読者に支えられて100号を迎えることができ、感謝にたえません。

 現在の「翻訳通信」は第U期ですが、第T期は1994年4月号から2002年5/6月号(第58号)まで発行されています。第T期からの通算では16年 にわたって、合計158号を発行しています。

 第T期は、仁平和夫、伊豆原弓、山岡洋一の3人が中心になって発行しました。3人は翻訳会社の同僚だったのですが、第1号発行の少し前に独立し、産業翻 訳を行いつつ、出版翻訳にも進出しようと苦闘していました。顧客開拓の方法を検討した結果、翻訳者がカレンダーやタオルなどを贈るのではあまりに芸がない と考え、文章を書いて送ることにしました。「翻訳通信」の出発点は翻訳営業だったのです。

 出版社の編集者を中心に、数十人の顧客や見込み顧客にほぼ隔月刊の通信を郵送しました。数年間、送り続けた結果、出版翻訳を受注できたケースもあって、 まずまずの成功を収めることができました。

 当時はまだ、何の肩書きもない翻訳者がノンフィクションの重要な本を訳す機会はなかなか得られませんでした。また、翻訳調の規範がかなり強い力をもって いて、翻訳のスタイルという点で顧客と意見が合わないことが少なくありませんでした。そこで、「翻訳通信」では翻訳調を超える翻訳スタイルを論じ、原文の 語と訳語の一対一対応の問題点を指摘し、新しい規範になりうる名訳を紹介することに力をいれました。

 たとえば第1号には「基本語の意味を考える ― INCLUDEは「含む」か」が掲載されています。英語のINCLUDEと日本語の「含む」には微妙な意味のズレがあって、無視できない違いがあることを 論じました。この語を「含む」と訳さないと意訳だといわれ、誤訳だとすらいわれるので書いたものです。

「基本語の意味を考える」はその後も「翻訳通信」第T期の柱として連載し、第U期がはじまる直前の2002年7月に『英単語のあぶない常識』(ちくま新 書)として出版されています。第T期の連載からは『翻訳とは何か ― 職業としての翻訳』(日外アソシエーツ)も出版されていますので、ある程度の成果はあったといえると思います。

 2000年代に入って、「翻訳通信」は当初の目的を達成したと思える状況になっていました。仁平和夫は『ディズニー7つの法則』(日経BP社)などの ヒット作をつぎつぎに生み出す売れっ子になっていましたし、『トム・ピーターズの起死回生』(TBSブリタニカ)のように、売れ行きはそれほどでもなかっ たものの、目の覚めるような名訳もありました。伊豆原弓もコンピューター関連を中心とするノンフィクション出版翻訳で確固とした地位を築いていました。わ たしも、営業が必要な段階をすぎていました。

 そこで、さまざまな方から助言をいただいた結果、「翻訳通信」の読者を拡大し、主に一般読者と翻訳者を対象に、翻訳の新しい潮流を伝えることを主眼にし ようと考えました。印刷して郵送するのではなく、メール・マガジンを発行するようにしました。こうして生まれたのが、今回100号を迎えた第U期です。

 一般読者を対象にしようと考えるようになった一因は、古典新訳です。第T期第40号(2001年1/2月号)に書いた「21世紀の古典翻訳の可能性」に 思わぬ反響がありました。古典新訳を本格的に検討する出版社がこのころから増えていたからだと思います。個人的には翻訳専業になったころから、『国富論』 などの古典新訳を目標にしていましたが、2000年代に入って、この目標を実際に目指せるようになってきたのです。訳すことはできても、そして何の肩書き もない翻訳者による新訳を出版してもらえたとしても、売れなければ担当編集者と出版社に迷惑をかけるだけになります。そこで、ささやかながらも読者開拓の 努力をしようと考えたのです。

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 第U期の8年間にはいろいろなことがありました。はじまった直後に仁平和夫が52歳で急逝し、ショックを受けました。追悼特別号と「仁平和夫小論集」を 発行し、天才的な翻訳家の死を悼むことにしました。「小論集」は8年後のいまでも話題になるほど優れており、翻訳家が何よりも母語での執筆者であり、表現 者であることを示しています。仁平を超えるノンフィクション翻訳家はいまだにあらわれていないと思います。

 せせらぎにすぎなかった古典新訳が少しは川らしくなってきたのもこのころです。いくつもの出版社が古典新訳を出版するようになり、話題にもなりました。 相変わらずの学者訳も少なくないのですが、なかには過去の古典翻訳のイメージを変えるような訳もあります。個人的な目標としていた『国富論』については、 第T期の終わりごろから検討を進め、既訳の問題点を指摘してきましたが、第U期がはじまった直後からは本格的に取り組むようになりました。何度か中断を挟 みながら、2006年にほぼ完成し、2007年3月に日本経済新聞出版社から出版されています。肩書きがない翻訳者が訳したものであるにもかかわらず、そ して、上下2巻でほぼ8000円という価格にかかわらず、意外なほど売れ行きが良く、3年半たったいまでは部数が当初予想の3倍に達しています。

 手前味噌ではありますが、それまで何年か、「翻訳通信」で主張しつづけてきたことが、ある程度は役立ったのではないかと考えています。つまり、『国富 論』の既訳は2000年に新訳として出版された水田洋監訳・杉山忠平訳(岩波文庫)すら、「原書」を読むための参考資料になるように訳されていて、訳書だ けを読んで意味が分かるようになっていないという主張です。拙訳『国富論』は大河内一男、大内兵衛らの大学者による既訳が多数あるなかで、一風変わった翻 訳を試みたわけではなく、21世紀の主流になることを目指しているとも暗に主張してきました。

 少し前の時代なら、こういう主張は身の程知らずの大風呂敷、大言壮語だと馬鹿にされるだけだったでしょう。そうはならなかった(少なくとも本人の耳に届 く形ではそうならなかった)のは、この間に時代が大きく変わったためだと思います。翻訳に肩書きが不要になり、翻訳関係者にとって素晴らしい時代になった のでしょう。

 大学教育に少しばかり首を突っ込むようになったのも、この時期です。1980年代前半からの友人である染谷泰正氏がこのころ、フリーの立場から大学教育 に転じ、翻訳の授業を担当しないかと打診されたからです。翻訳者教育には1980年代半ばから取り組んできましたのだが、翻訳者育成を直接の目的としない 教育に関与したのは、これがはじめてでした。その成果は第U期の「翻訳通信」で何度も紹介しています。たとえば、2008年5月号から9月号にかけて連載 した「翻訳講義」や、2008年12月から2009年3月にかけて連載した「『アメリカ独立宣言』の翻訳」などがあります。2006年1月号の「翻訳の楽 しみ − 『さゆり』を読む」も講義の記録です。

 週に1回にすぎませんが学生を教えるなかで、いまの学校教育の問題点が少しずつみえてきたように思います。幸い、学生は熱心だし、真面目だし、優秀なの ですが、それにしては学習が不足していると感じました。たとえば、英語の文章をあまり読んでいません。とくに論理的な文章を読んでいません。英文法の教育 をあまり受けていないので、一読しただけでは意味が分からない文章になると、お手上げという学生が多いようです。辞書を引く習慣ができていません(電子辞 書かインターネットの辞書で済ませている学生が大部分です)。要するに、しっかりした教育を受けてきていないようなのです。会話や発音はうまい学生が多い のでしょうが、論理的な思考と論理的なコミュニケーションの能力については、いかにも教育が不足しているという印象を受けました。

 翻訳者である以上、教育に取り組むのなら、目的は翻訳者の育成しかありえないとそれまでは考えていましたが、これを契機に考え方が変わってきました。背 景のひとつとして、翻訳者育成を目的とする教育には限界があると感じていたことがあげられます。翻訳者は本人しだいであって、できる人は仕事を確保する きっかけさえあれば、何も教えなくてもできるようになるし、実力が不足している人に教えても、教え方が悪いからでしょうが、たいていはあまり伸びないので す。過去25年、翻訳者教育に取り組んできましたが、自慢できる「弟子」は5人程度です。その5人も仕事を紹介したという意味では役立ったとしても、教え たからうまくなったとはいいにくいのです。

 しかし、翻訳を目的とする教育から翻訳を手段にする教育に目を転じると、可能性は無限に広がっているように思えます。翻訳者ならみな知っていることです が、外国語の読解力、日本語の執筆力、内容の理解力という総合的な能力は翻訳を行うなかで身につけてきています。翻訳者にとって、翻訳とは仕事であると同 時に学習の過程でもあります。翻訳の学習効果はきわめて高いのです。この効果を翻訳者だけの秘密にしておくのはいかにももったいない話です。この効果を一 般教養教育や生涯教育に活かせるはずです。学生に翻訳を教えるなかで、そういう確信が強まってきました。週1回の翻訳の授業でも、いま主流になっているコ ミュニカティブ・アプローチに欠けている点を補う一般教養教育ができると思えるようになってきたからです。

 2010年に入って、あるとき偶然、「翻訳通信」第U期が近く100号になることに気づきました。100号記念を逃せば、つぎの節目ははるか先になるの で、あわてて計画を考えるようになりました。『翻訳とは何か ― 職業としての翻訳』を超える翻訳論をまとめたいというのはかなり以前からの希望ですが、100号までには半年ほどしかなかったので、間に合いません。そこ で今回もさまざまな方に助言をいただいて企画したのが、セミナーと100号記念号です。ご覧の通り、100号記念号には多彩な方から素晴らしい寄稿をいた だくことができました。

 セミナーも幸い、東京と関西を合計して200人近い参加者が、ほぼ「翻訳通信」購読者へのお知らせだけで集まっています。熱心な読者に支えられているこ とを再確認できました。

 もうひとつ、これを機会に「翻訳通信」の性格を変えようとも考えています。要するに第T期の原点に戻り、営業の手段にしようと考えているのです。ただ し、自分の営業ではありません。中堅から新進の翻訳者、そして新人が営業の手段として使える媒体、いってみれば投稿自由の同人誌にしていこうという案で す。

 誤解を招かないように記しておきますが、「同人」がいま、いるわけではありません。弟子がたくさんいるわけではないのです。だから、読者が自由に投稿で きるようにしようと考えています。もちろん、呼び掛ければすぐにも大量の投稿が集まるなどと考えてはいません。何年かの時間をかけて、少しずつでも投稿が くるように粘り強く呼び掛けていきたいと考えているだけです。

(2010年9月号)